カテゴリー「09◆ヨルダン(ペトラ遺跡・アンマン)」の記事

2010/02/08

1月31日 アンマンで一日中ブログを書き書き

8:00起床、朝飯は結構豪華。
室内でWiFiすると有料なので、ホテル内ビジネスセンターで有線LANを使ってネット。これは無料。9:00-13:00ネットし続ける。

イスタンブールでかったトルコ石のペンダントを田舎に送るために郵便局へ行く。地球の歩き方イスタンブールやツアーパンフなども一緒に送って、5.75JD=750円。無事に着くのかなあ。

歩いて50分かけ、アンマン市内の人気中華料理「上海飯店」に行く。チンジャオロースとベジタブルチャーハンとビールを頼んで12JD=1500円くらい。日本の普通の中華料理店のチンジャオロースより旨い。めちゃウマである。感激。
13shanghai


トレドホテルの目の前はキングフセイン通りというバス会社群(バス会社が林立していて、会社ごとにバス発着場がある)があり、帰路そこを撮影。


言うちゃなんだけど、アンマンの街中(ヨルダン全体かも)はゴミだらけ。ゴミがここまで散乱している街は、南米じゃ見かけなかったので、汚いなあと言う印象。これは今まで出会った旅行者もみんな言っている。

ホテル戻ってもネット。この日は飯食いに外に出ただけ。ほぼ一日中ネット。

明日のエジプトの宿探しをしていて、ベニス細川家ホテルと言う安宿の評判が良いので、予約のメールを入れるが、夜の12:00を過ぎても返事がない。ちょっと不安だ。



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1月30日 陸路でアンマンに戻る(追記あり)

フレンチ・タワー・ホテルの朝飯。味はまあまあ。
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いろんな旅行者と出会い、レバノンに行った連中は皆「全然何ともないよ、たぶん安全だよ」と言うのだが、外務省の危険度3(退避勧告の一歩手前)はきつい。ダマスカスの観光案内所で情報を仕入れようにも、閉まっている。何時になったら開くのかわからない。もういいや、やっぱりレバノンは今回は諦める。

ので、ヨルダンのアンマン戻りを決める。

チェックアウトの際、釣り銭の2$をチップとして渡すと、親切なお姉さんがたいそう喜んでくれた。チップの払い甲斐がある。

ホテルからタクシーに乗る。「100SPで良い?」と聞くと、「冗談じゃない、ダメダメ、200SP」と言うので、「じゃあ150SP」で決着。

バスターミナル(ガラージュ・ソーマリーエ)まではタクシーで20分くらいかかり、メーターで100SPを超えていた。チップの意味も含めると、150SPはまあまあ妥当な価格かも。

バスターミナルに着いたはいいけど、やっぱり今回もどこに行けばいいのかわからない。うろうろしていると、例によって何人ものシリア人が、どうした困っているのか?と声をかけてくる。教えてくれるままバスターミナルの奥に行くと、国際セルビスタクシー発着場があった。スーツケースを見るなり、どこに行くんだ、とスーツケースを運んでくれるおじさん登場。この人もいい人なのかな、と思ったらバクシーシ(チップ)をねだるおじさんであった。

ヨルダンのアンマンに行きたい、と言うと、すぐに発車するセルビスタクシーが見つかった。私が乗り込んだら即発車(すでに3人客が決まっていたので、私が乗ってすぐ発車となったのだ)。

新しめのヒュンダイを使ったセルビスタクシーは、オーバー120kmキンコンカンコンならしながら突っ走る。シリア行きのセルビスタクシーは運ちゃんが強面だったけど、今回の運ちゃんは明るくよく喋る奴。同乗客はヨルダン人3人。


※追記:片言英語が喋れるヨルダン人にセルビスタクシーの値段を聞いたところ800SP=1600円。で、実際に払ったのも800SP。アンマン→ダマスカスはベデウィホテルのオヤジ経由で20JD=2600円だったので、ダマスカスの価格が適正価格なんだと思う。※追記終わり


11:10、セルビスタクシー発車
12:25、国境到着、出国税を払い3分で出国手続き完了。運ちゃんはシリア側免税店に行き、タバコをしこたま買い込む(5カートンくらい)。
12:55、ヨルダン入国の手前に到着、運ちゃんはヨルダン側免税店に行き、タバコをしこたま買い込む(5カートンくらい)。
13:10、ヨルダンの入国審査で、全員の荷物を降ろし、抜き打ち荷物検査。私のはチェックされなかった。
13:35、乗客全員ヨルダンの入国審査完了

出国、入国ともに何の質問もされず、実にスムーズ。運ちゃんがタバコを買いに行かなければ、40分くらい短縮されたはずだが、まあ運ちゃんのサイドビジネスなんだろうな。

14:30、セルビスのターミナルに到着。またも目印のない適当なところで降ろされる。シリアといいヨルダンといい、なぜこうも目印のない変なところがターミナルになるのだろう。もっとわかりやすい場所にして欲しいよ、まったく。

アンマンのホテルは、風邪気味なので良いところにする。トレドホテルという中級宿。セルビスターミナルからタクシーで2.5JD。でもチップくれくれ攻撃に負け、4JD出す。バックパッカーじゃない私は、チップくれくれ攻撃にすぐ負けてしまう。

トレドホテルは、高級に近い中級宿。部屋は抜群にいい。一泊60JD=7800円。風邪をこじらせたくないから、このホテルに二泊することにした。


16:00、さすがに腹が減ったので昼飯(?)。でも旧市街まで2km以上歩かなきゃならないんだよなあ、げんなりしながらホテルの前を歩いていると、「ご飯食べて行きなよ」と声をかける輩が。またもシュワルマ。ファンタも飲んで1.5JD≒180円。安い。
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この声をかけてきた輩は、ヨルダン人のおかま。店内で飯を食っていると、やたらなよった声で話しかけてきて、ことあるごとに私のちんこを触ろうとする。ヨルダンにおかまがいるんだ、イスラムでおかまが堂々としていても咎められないだ、と新鮮な驚き。

そのまま旧市街を目指し歩く。坂が多い。


旧市街まで歩いて40分くらい。遠い。で、ベデウィホテルに泊まった日に飲んだ飲み屋に行き、ビールを飲む。違う道を使ってホテルに戻ると30分で戻れた。

この日はブログの原稿書きで終わる。


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2010/02/05

1月27日 ショーバック、死海、マダバ経由アンマン行き

前日、朝8時にアンマンに出発すると言っていたので、少し早起きし、ネットでアンマンの宿探ししようとしたらネットが繋がらない。どうしたんだ?とレセプション(フロント)に聞きに行くと、無線モデムをひっくるめたPC環境の電源を落としているからだ、と普通に言う。ネット代を別で払ってんだから勝手に電源落とすなよ。

朝飯の前「死海経由アンマン行きは、アンマン直行になった。出発は同行者の希望で9時30分になった」と宿の親父から言われ、チェコ人のローマンとエレーナを紹介される。もういいよ、アンマンに早く行けるなら、それはそれで構わない、という気分になっていた。

9時20分頃にレセプションに行きチェックアウト。すると、「宿代は1日18JD、朝飯代が2JD、2日間合計40JDに、ネット代2JDだ」。なんだとぅ、朝飯は宿代に含まれていないというのか。くそぉぅ、チェックイン時に確認し忘れたとはいえ、がめつすぎるぞ、ペトラ・ゲート・ホテル。

更に、「アンマン行きは死海経由になった。もう一人増えた。4人だ。死海経由なので一人25JDは変わらない」と親父。また予定変更かい。

で、新たに加わった一人は、一昨日晩飯を一緒に食ったモロッコ系ベルギー人ムスタファだった。

我々4人を乗せたチャータータクシーは、まずショーバックへ向かう。ミニペトラと言われているショーバックはこんな感じ(端っこに写っているのがローマン)
1_showbak


ショーバック滞在15分で、次の目的地、ダーナに行く。ダーナ滞在は3分。高台からダーナ村を眺めただけ。
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次。死海への道中にあったビューポイントっぽいところで撮影。
3_takadai


ダーナから2時間くらい車を走らせ、死海へ向かう。死海に面したオフィシャルツーリストビーチで泳ぐとのこと。ダーナの気温10度くらい。ドライバーは、死海は標高が海抜マイナス400mくらいあるので暖かいと言っているが、私は風邪気味で泳ぎたくない。が、皆泳ぐと言っているので行かざるを得ない。

死海着。入場料15JD=2000円弱払って入場。高すぎるが、皆泳ぐと言っているので仕方なく払う。死海ビーチ近辺では、カシオの高度計付き腕時計PROTREKがマイナス440mを指している(wikipediaによるとマイナス418mなので、多少誤差アリ)。
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死海ビーチの様子。手前はプール(塩落とし用?)、奥が死海。
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あれ、エレーナが見あたらない。相方のローマンにどこ行ったんだと聞くと、「彼女は値段が高いから泳ぐのを諦め、ビーチエントランスの前で待っている」。そうなんだ、泳ぎもしないのに高い入場料払って入った私はバカみたい。


続いて一行はマダバという町の聖ジョージ教会に行く。モザイク細工が美しいんだとか。
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夕方17:00、アンマン着。タクシードライバーが、私の紹介するホテルを見て欲しいと言うので、気に入らなければ違うところに連れて行く、という約束で見に行くと、ベデウィホテルという、地球の歩き方にも載っている安宿だった。オーナーはいい人っぽいような書かれ方なので、私はここでいいや。ローマン、エレーナ、ムスタファもここでOK。
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で、4人で晩飯。私が地球の歩き方で調べたエルサレムレストランという現地の安飯屋。英語メニューがないので、(アラビア語が喋れる)ムスタファに注文してもらった。6JD=720円したので、安くはない。味はまあまあ。
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その後皆で水タバコに行くと言って誘われたが、私は酒が飲みたかったので「See you again」

クリフホテルを奥に入った路地にある酒屋兼居酒屋で、外国人私一人の中、飲む。
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ベデウィホテルは、部屋がすいていたのでツインの部屋をあてがってくれたが、結構広くそれがあだとなって、寒かった。ちなみに布団と毛布の横幅が、シングルベッドとほとんど同じで小さい。どこで調達したんだ、こんな変なサイズ。


20:00頃にホテルに戻り、ホテルのオーナーに「明日ダマスカスに行きたいんだけど、バスはどこでどうやって乗るか教えて」と聞くと、「OK、俺に任せろ、全部手配してやる、値段は15~20JDだ。明日は木曜で金曜の前(金曜はイスラムの休日)だから、基本的に混む。20JDかかるかも知れない。それでいいか」「よくわからないけど、手配できるならお願い」

このオーナー、いい親父なのかな。


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2010/02/02

1月26日 ペトラ遺跡・後編

エド・ディルの近辺に1時間以上滞在し、山道を下る。下っている最中、N村さんと早速再会。途中まで一緒に下って、また別れる。

私はひとりエド・ディルの登り口にあるバシンという遺跡内高級レストランで、ビールだけ注文。ほっと一息つく。観光再開。いろんな墓が横一列に並んでいる場所を目指す。
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ここまでたくさんあると、どれが何の遺跡なんだかわからない。
写真はたぶんコリンシアンの墓。シルクの墓かも。どっちも違うかも。
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こっちはアーンの墓。たぶん。(私じゃない誰かをガイドしていた)現地ガイドがそういっていた。でもやっぱり違うかも。
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そしてサタデーナイトなわたくし。足短い。頭薄い。
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もう疲れた。あと一個、犠牲祭壇を見たら帰ろう、と目指す。
これが犠牲祭壇への入り口の階段
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途中で道を間違え、人っ子一人いない寂しい場所に出る。
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この時点で15:42。あと1時間で日が暮れ始める。こんなところで迷子なんてシャレにならないぞ、と焦るも、程なく正しい道が見つかり、犠牲祭壇も見学。オベリスクが2本建っている。
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16:20、メインゲートに到着。7時間以上も歩きまわった。ああ疲れた。

私はビールが飲みたくて、酒を置いていそうなレストランを探すため、ペトラ・ゲート・ホテルまで歩いて帰ることにした。急な上り坂が続く道は、思っていたよりもハードで、ホテルまで40分歩いた。が、酒を置いていそうな店は、ペトラ遺跡の近くにある高級ホテルのレストランだけ。がっかり。

宿に戻ると、宿の親父が「ワディ・ラムは誰も参加者がいない。死海経由アンマン行きは一人いる。チャータータクシー代70JDなので、一人35JDだ。それで良ければ手配する」。ワディ・ラムに行けないんだったら、死海経由でいいです、それ手配して下さい。

そういえば昼間会ったN村さんは、明日アンマンに行くって言ってたな、死海経由も面白そうとか言ってたな、じゃあバレンタイン・インに行って直接聞いてみよう。

と、バレンタイン・インに行くと、そこはバックパッカーの天国。ロビーに大勢の人がいる。ペトラ・ゲート・ホテルのロビーには誰もいないぞ。

ロビーでパソコンやっているN村さん発見。探す手間が省けた。「死海経由アンマン行き、行きませんか?」「うーん、実は明日イスタンブールに行っちゃおうと思っているんですよ」ありゃ、残念。

晩飯どうしようか悩んでいたら、バレンタイン・インでは晩飯4JDでビュッフェが食えるとのこと。それは素晴らしい。ペトラ・ゲート・ホテルでは晩飯は出ないぞ。バレンタイン・インのオーナーに話をすると、「泊まっていないなら5JDで食ってもいいよ。ちなみにうちならシングル1泊15JDだぜ、ペトラ・ゲート・ホテルより安いぜ」なんてことを言っておりました。

バレンタイン・インのビュッフェは、この日泊まり客が多かったせいもあり、20種類近い料理が並んでいて、それは見事。結構旨かったし。

2時間以上、バレンタイン・インでN村さんとA泉さん相手に喋ってしまった。すみません、お邪魔しました。

ペトラ・ゲート・ホテルに戻ると、宿の親父が「死海経由アンマン行きの同行者がキャンセルした。明日は君一人だ。70JD=約9100円とは言わない、60JD=約7800円だ」「えーっ、そんな金払えないよ、バスでアンマンに帰るよ、バスなら5JDなんだろ」「まてまて、チャータータクシーの手配をしてしまったんだ」「そう言われても無理だよ」、すると宿の親父は誰かに電話して、「見つかった、二人見つかった、だから明日は君を入れて3人だ、25JDでいいぞ」

なんだかなあ。言うことが二転三転する親父だなあ。



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1月26日 ペトラ遺跡・中編

エル・ハズネから遺跡の奥へ歩いて行くと、名前が付いているのか付いていないのかわからないけど、あちこちにすごい大きさの遺跡がごろごろしている。
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これはローマ円形劇場
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これは柱廊通りの先にある凱旋門
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これはカスール・アル・ビント(だと思う)
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ここから、山を削って作った約800段の階段状山道を登った先にある、エド・ディルを目指す。登り口がわからず、遺跡内レストラン近辺でうろうろしていたら、現地のロバ引きがやたらと寄ってくる。ロバ引きは「ここから先はガイドがいないと登れない。800段もあるんだ、1時間はかかるぞ、でもロバなら20分だ」と言って、強引にガイドしようとする(ちなみに小学生くらいの少年)。もう面倒だなあ。でも本当にガイドが必要なのか? と思ってレストランの手前のツーリストポリスに聞くと、「エド・ディルまでならガイドは要らないよ、そこから先に行く場合はガイドがいないと駄目だけど」。何だ、やっぱりガイド要らねえじゃねえか、この嘘つき少年め。でもまだ客引きを諦めていない少年がしつこいから、「俺はハイキングが趣味で、年に3回は登山しているんだ、800段なんてイージーだよ」と言うと、ツーリストポリスも笑って「諦めろ」みたいなことを少年に言って、ようやくいなくなった。

で、これが階段
15_kaidan

16_kaidan


で、40分くらいかけて登った先にあるのがエド・ディル。
17_eddier


エド・ディルの先に行くと、ビューポイントが何カ所かある。ビューポイントなので当然高台にあり、そこまでまた更に登らなくてはならない。ちょっと疲れを感じるも、眺めは最高に良い。
18_eddier


ビューポイントの一つに登ると、そこには日本人が二人いた。世界一周9ヶ月目のA泉さんと、3ヶ月で世界一周をしている大学生N村さん。軽い昼飯(私はキットカットとビスケットだけ)を食いながら、皆さんどこ行きましたか、これからどこ行くんですかなんて話をする。二人ともバレンタイン・イン(という安宿)に泊まっているとのこと。30分ほど話をして、また会えるでしょう、と別れる。


つづく


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2010/02/01

1月26日 ペトラ遺跡・前編

ペトラ・ゲート・ホテルでは、ペトラ遺跡まで無料送迎してくれる。朝8:00出発。だが、起きたのが8:00。いいや、タクシーで行こう。朝飯の用意ができるまで、ATMでお金引き出し、ホテルの外観を写真に撮る。
1_petragatehotel


そしてこれが朝飯。安宿だからこんなもんでしょう。
2_petragatehotel_breakfast


宿の親父に、明日ワディ・ラムに行き砂漠ツアーをしたいと頼むと、同行者を捜そうと言ってくれる。誰もいなら死海経由アンマン行きを、と追加でお願い。ペトラに向かうタクシー乗る前に、ホテル近くの店でお菓子を買う。子供店員が流暢な英語で対応してきたことに驚き、気がつけば1JD釣り銭をちょろまかされていた。

9:00、タクシー1JD払って、ペトラ遺跡の入り口に行く。地球の歩き方によると入場料21JD=2700円なのだが、今年1月からホースライド等のサービスチケット12JDを強制的に買わされることになり、合計33JD=4300円。これは高い。

土産物屋が並んでいるメインゲートをくぐり、まっすぐな道を歩く。
3_petraentrance

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そして、シークと呼ばれる両サイドが高い岩壁になっている道。ここがインディジョーンズに出てきた有名な場所か。期待が高まる。
5_siq

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そして歩くこと40分、ついに! インディジョーンズの世界そのままの、エル・ハズネが見えてきた!
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今回の世界一周旅行で絶対外せない観光ポイントの一つだったエル・ハズネ。ついにこの目で見ました! 嬉しくなって自分撮り。
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この場に30分とどまって、いろんな場所から撮影しまくり。
9_elkhazneh


地球の歩き方に載っているペトラの地図では、エル・ハズネはペトラ遺跡の入り口にすぎず、奥へ奥へと数kmに渡って遺跡が存在していると載っている。

これは期待に胸が高鳴りますがな。


つづく



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1月25日 ヨルダンに行く

チェックアウト前にイスタンブールの近代的路面電車トラムヴァイの様子を撮る。


送迎の車に乗り、空港に行く。道が空いていて、出発の2時間30分前に着いてしまう。ロイヤルヨルダン航空のチェックインはまだ開いていない。イスタンブールの空港も、デニズリ空港と同じで、空港入場時にX線検査がある。

出発2時間前になってロイヤルヨルダン航空のチェックインカウンターが開く。なんというか、時間に正確すぎる。普通に並んでいると、私の後ろに並んだトルコ人が「早くしろ早くしろ」と押してくる。「そんなこと言ったって前の人がまだチェックインしている最中だろ」と言うが、構わず押してくる。ので、ついにぶち切れ「うるっせえんだボケ、押すんじゃねえよボケ、そんなに早くチェックインしたかったらビジネスクラスのカウンターに言って自分で交渉しやがれボケ」と怒鳴ってしまった。今回の旅行で初めて怒鳴った。するとトルコ人は「なんだこいつ」みたいな顔して呆れてるから「ふざけてんじゃねえぞクソボケチンカス野郎が」とまた怒鳴ってしまう。ああ、もう腹立つ。

チェックインを済ませ、出国に並ぶ。私の後ろにいたトルコ人は、出国に並んでいる人たちを後ろからどんどん追い抜いていく。係員がいないので抜きたい放題。またイスタンブール空港は、入場の際にX線検査をやったら、その後検査なし。首都の空港としてそれで良いのかなあ。

で、腹減ったので空港で飯。チキンサンドとビール。旨かったんだけど……この二つで21US$です。日本円でも払えその場合は2650円。値付けが異常に高い。
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イスタンブール→ヨルダン・アンマン行きの飛行機に乗っている間、地球の歩き方を熟読。ヨルダンに行く最大の目的はペトラ遺跡。アンマン経由で行く場合、アンマン市内までタクシーで移動し、宿を探して一泊し、翌日バスに乗り、ペトラで宿を探し……

面倒になったので、アンマンの空港から直接ペトラ遺跡のある町ワディムーサまでタクシーの値段を聞き、私の予想内であればワディムーサまで直接行くことにした。アンマンの空港タクシーは免許制で、流しのタクシーが入ってこない、そして行き先によって料金は均一である、と歩き方に載っていたのが決め手。

空港を降りると、わらわらとタクシー運転手が群がってくる。値段を聞くと、ワディムーサまでは70JD(ヨルダンディナール)、ドル払いなら100ドル。

決めた。ワディムーサ直行。タクシーで3時間ちょっと。17:30-20:30のタクシー旅。道中、運転手は店に寄りジュースを買ってきたり、おつまみのような塩豆を食わせてくれたり、ガムくれたり、タバコくれたり。

写真は、これでも営業中の店。運転手はここでジュースと豆を買ってきた。
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ワディムーサの町が近づき、私は歩き方に載っている「ペトラ・ゲート・ホテル」に行ってくれと言うと、運転手は盛んに違うホテルを薦める。あーあ、親切そうに見えたけど、結局こいつもコミッション(紹介手数料)が欲しいのか。

運転手の紹介するホテルを拒み続けると、いきなりペトラゲートホテルが見えてきて、「ここ、ここ」とタクシーを降りる。運転手はチップを要求。ぐだぐだ言っていたので、奮発して5ドル上乗せの105ドル払ってやると、「タバコもくれ」と免税店で買ったマルボロ一箱も要求。

ホテルに入ると、宿の親父がすぐに部屋を見せてくれ、「荷物を部屋に置いて、とにかく今はペトラナイトに行こう」という。ペトラナイトとは、ペトラ遺跡が閉まった後、別料金で入場する週3回開催されるイベントで、ペトラをライトアップし、民族楽器を使ったバンドがショーをやるもの。これはラッキー、と思ってついて行くも、本日は理由なく中止。がっかり。同乗していた韓国人2人と、モロッコ系ベルギー人もがっかり。車中、タクシー運転手が「俺が日本人を連れてきたんだからコミッション寄越せ」と宿の親父に言ってきて、宿の親父は「ここは日本のガイドブックに載っているホテルで、日本人は自主的に来たはずだ」と追い返したとのこと。あの運転手、そこまでがめつい奴には見えなかったんだけどなあ。

私とベルギー人アフメットムスタファは、途中で車を降り晩飯。モロッコ系でアラビア語が話せるイスラム教のアフメットムスタファにお任せで頼んだ食事がこれ。
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その後二人でホテルまで歩く。


ホテルに戻り宿の親父に一泊いくらと聞くと、18JD=2400円くらい。歩き方より2JD高い。しかしもう荷物を部屋に入れてしまったし、夜の9:30頃で今更宿探しは面倒だったのでOKした。



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