カテゴリー「■09年11月から世界一周!」の記事

2012/07/20

LASIK(レーシック)の近視戻り

自分用のメモです。気にしないで下さい。


2009年11月の世界一周スタートの前、2009年8月26日に私は近眼のレーザー手術LASIK(レーシック)を受けた。金27万円也。

2009年2月に銀座眼科の不衛生レーシックで女子大生が失明寸前という事故が起きたので、値段が高くても安心できる病院で手術を受けたので、金27万円也。高い也。

手術前
右0.008
左0.004

手術翌日(2009年8月27日)
右0.9
左0.3

手術2ヶ月後
視力不安定、調子いいときは両目0.6以上、悪いときは両眼とも0.3

2009年11月4日世界一周旅行開始
ブラジルのアマゾン川滞在中(マナウスからアマゾンジャングルリゾートに行った)、右眼から涙が止まらなくなり、大量の目やに発生。レーシックの影響なのか、アマゾン川で虫にやられたのか分からず、パニックに陥るも、アルゼンチン滞在中に治る。しかし2010年2月スペイン滞在中に再発。一時帰国して慈恵医大に駆け込んだら、慢性涙嚢炎で手術が必要と言われた。そんなこんなで、右眼も視力が落ちた。

2010年6月、世界一周旅行を終えレーシックを受けた眼科で視力を測る
右0.5
左0.3
測るとそれなりの数値が出るが、実感として視力は落ちた。


2010年9月、術後1年検査でも、
右0.5
左0.3
実感としては6月より更に落ちたのだが。


2011年?月、急激に視力が落ち始めた。
居間のソファに座ってテレビの番組表の文字が読めなくなった。同じくソファから本棚にある本のタイトルが読めなくなった。など、具体的な視力低下がはっきりと分かる現象が続いた。


2012年5月下旬、たちの悪い風邪をひいた。
扁桃腺の腫れが3週間も治らず、7月20日の今も左顎に痛みが残る。
この風邪をひいた頃から、再び急激に視力が低下した。壁掛けの巨大デジタル時計の文字が読めなくなり、巨大カレンダーの文字も読めなくなり、つまりどちらも数字なので普通ならば少々ぼやけていても読めるはずなのに、それが読めなくなった。

いま現在の実感としては、
右0.2
左0.05

くらいに視力が低下している。と思う。


適当にググったらレーシックの近視戻りという症状があり、レーシック手術を受けた患者の1~2%くらいに発生するらしい。元がド近眼だった人ほど、近視戻りが発生しやすいらしい。


レーシックのマイナス面、私の場合
・夜、街灯などを見ると、クロススクリーンフィルターがかかったように見える(右眼と左眼でキラキラの形や伸び方が異なる)。
・夜、目が見えづらい。いわゆる鳥目が強くなった。
・老眼がきつくなった(元もとド近眼だったので老眼はさほど気にならなかったが、レーシックで視力回復したため、一気に近くのものが見えなくなった)

→考えてみたら、レーシックで老眼がきつくなり、本を読むのが大変になってしまった。しかし読書は私の趣味であり、やめることはできない。で、本を読み続けているうちに、目が本を読むのに適した視力になるよう自己修復しているのだろうか?


私は角膜が薄くて、かつ元がド近眼なので、レーシック再手術はかなり厳しい。

しかしなあ、このレーシックの近視戻りはきっついなあ。1週間前は見えていたはずのものが見えなくなっている。日々視力が低下しているのを実感するのが、これほど精神的に堪えるとは。


・手術翌日に当ブログに書いた内容

・手術から2ヶ月後に当ブログに書いた内容

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2010/12/05

出会って丸1年。

2009年12月5日。ちょうど一年前のイースター島で、

アキさん、アヤさん、ひでさん、ゆうさん、なおみちさん、ショウコさん、ミサキさんと出会い、甲太郎で飯を食った。

早いなあ。あれからもう一年も経っちゃった。

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2010/11/04

11月4日、世界一周スタートから丸1年。

昨年(2009年)11月4日17:30、私は成田に到着した。
ビジネスクラスのチケットなので、ラウンジを利用できる。
それまで私はラウンジなどという快適な場所とは無縁の人生を送ってきていたから、大いなる引け目を感じながら、ラウンジの片隅でネットをやっていた。

そして20:00、私は世界一周のスタートとなるブラジルに向け飛び立った


早いもので、あれからもう一年経った。


23時間のフライトを終え、時差12時間のブラジル・サンパウロに到着したその日、ホテルにチェックインして吐いた。到着日はホテルで寝ているだけだった。それも今となっては良い思い出だ。


それにしても早いなあ。もう1年経っちゃったんだ……

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2010/07/22

5月25日 帰国。世界一周の終わり。

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朝からシャワーを浴びて、豪華ビュッフェで朝飯を食って、といっても相変わらず胃が痛くヨーグルトとフルーツをいくつか食ったくらいだけど、こんな形で世界一周が終わってしまうとは思わなかったなあ、と考えながら荷造りして、ぼーっとしていた。12:00にチェックアウト。そこそこ手の込んだ飾り彫刻が施してある木の入れ物に入ったダージリンティーをもらう。バースデイプレゼントなのか、すべての宿泊客に配っているのかは不明。医者呼んでくれたりルームサービス取ったりタバコを買ってきてもらったり、なんだかんだでホテルのサービスを利用したため、予想よりも高い金額が請求されてしまった。かけた覚えのない電話代とかも入っていた。100円くらいだからいいんだけどさ。

疲労がピークに達しているので、ホテルからタクシーで空港に向かう。フライトは19:30なのであまりにも早すぎるけど、疲れが溜まりすぎてこれ以上インドで観光する気にならない。なんだかなあ。エアコンが付いているタクシーで、エアコン代金25%割り増しらしい。しかし、デリーの気温が暑すぎるのか、エアコンは効いているようで効いていない。車内が暑い。暑いのだ。

空港に着いたが、「あなたの乗る飛行機はチェックインを開始していないから、あなたはまだ空港内に入れない」と空港を警備する警官に言われ、しょうがないから周辺をうろつくと、空港のすぐそばにエアコンの効いた待合室らしき場所がある。まあいいや、ここで待とう、とその施設内に入ると「利用料が30ルピー」とか言われてしまう。

トイレはエアコンの効かない施設の外。トイレに行こうとすると、30ルピーを払えない(のか払いたくないのか)インド人が、トイレのそばで大量にごろ寝している。トイレは屋根が付いているので、多少は涼しいのかね。

トイレから戻ってくると、インド人には見えない鼻の高い男から、「あなた日本人ですよね」と声をかけられる。外国で日本語で喋りかけてくる輩にろくな奴がいないのは長旅しているとイヤというほど身につくけど、もう日本に帰るだけだからいいやと相手をする。

「私は、日本で13年働いていたイラン人です。日本がリーマンショックで不景気になって職が無くなったので、イランに戻って商売しています」
「へえ、どこに住んでいたの?」
「愛知県です。奥さん日本人です」
「へえ、そうなんだ。今なにやってんの?」
「宝石商です」
「インドには何しに来たの?」
「コロンビアのビザを取るためです」
「へ?」
「イランにはコロンビア大使館がないのです。私はコロンビアに宝石を仕入れに行きたいのです。でも大使館がないからビザが取れない。コロンビア政府の電話番号を調べて電話したら、イラン人がコロンビアビザを取るためには、インドのコロンビア大使館に行きなさいと言われました。だから仕方なくインドに来ました。インドは暑すぎます。もう二度と来たくない」
「暑いよねー。安宿にでも泊まっていたの?」
「1万円くらいの宿です。でも最悪でした。エアコンの効きが悪くて暑いのです。それで私は今朝チェックアウトして、すぐここに来ました」
「飛行機は何時なの?」
「夜の2:30です」
「えっ!それまで待ってるの?」
「そうです、待ってます。デリーはもうイヤです」
「コロンビア危ないでしょ」
「大丈夫です。私はペルシャ語、日本語、英語、スペイン語、ドイツ語が喋れます。スペイン語が出来るからコロンビアも大丈夫です」


「イランに来たことありますか?」
「ないよ。行きたかったんだけどね。時間が足りなかった」
「イランは最高に良い国です。ご飯がとても美味しい」
「そうなの?」
「本当です。お酒も飲めます」
「マヂ?」
「本当です。イランはイスラムの国ですが、お酒を飲む場所もありますし、お酒を売っている店もあります。おおっぴらに飲むと犯罪で捕まりますが、外国人は滅多に捕まりません」
「マヂ?お酒飲めるならイランに行けばよかったな」
「それに、世界でいちばん安全です。日本より安全です」
「マヂ?」
「イランには密告制度がありますし、秘密警察もたくさんいます。安全です。間違いなく安全です」
「へえー。まあでも俺はイスラム世界にとても興味があるから、そのうちイランには行くよ」
「ぜひ来て下さい。あなたはイランのことを知っていますか?」
「アハマディネジャド大統領って、頭いいよね。トルコとブラジルを味方に付けているよね」
「はい。でも彼は国民に人気がありません」


「ところで、イランのお札見たことありますか?」
「ないなあ」
「これです、見せてあげます」
「へえ、2万リアルか。ちなみにアラビア語の数字だけは読めるんだ、俺」
「おお、アラビア語の数字が読めるの。それは素晴らしい。これいくらだと思いますか?」
「2万リアルだろ、相場がわかんないなあ」
「約1万円です」
「へえ。そんなにするんだ」


「私は今まで15カ国くらいに行ってます。いろんな空港で、いろんな人と喋りました。そのときいつもお願いするのですが、あなた日本のお札持っていますか?」
「いや、今日ここ(空港)に来るのに最後の千円札を両替しちゃったから、100円玉しかない。なんで?」
「私の持っている2万リアル札と、あなたの国のいちばん安い札を交換してもらいたかったのです。その交換したお札に、いつどこの国のどの空港で何という名前の人とこういう会話をした、とお札に書き込むのです。そうすると、その国に行った思い出になるのです」
「へえ、それはいいなあ。でも悪いね、100円玉しかないんだ。お札で持っているのは、インドルピーと香港ドルしかない」
「そうですか。残念です。香港ドル見せてもらってもいいですか?」
「いいよ、これが20香港ドルで、日本円で240円くらい」
「交換してくれませんか?2万レアル札と」
「えっ?でも2万レアルは1万円なんだろ、価値が違いすぎるよ」
「そういう話じゃないんです、私の思い出なんです、思い出を作りたいのです」
「いや、でもさあ」
「いいんです。ぜひ交換して下さい」
「そこまで言うのなら」

このイラン人とは3時間くらい喋っていただろうか。16:00を回り、そろそろ空港の中に入れるかと思い警官に聞くと「ああ、チェックインが始まっているから入っていいよ」との返事。

イラン人に別れを告げ、ビジネスクラスのチェックインをする。もうこれ以降二度とビジネスクラスに乗れないかもしれないので、堪能せねば。

デリー空港のJALのラウンジは、ラウンジとは思えなくらい食い物が貧相だった。タンドリーチキンと、インドテイストのベジタブルサンドイッチと、その他2品。たった4品しか食い物がない。一応ビールとかワインはありましたけど。ついでにトイレも男性用は大小兼用が一室しか無くて、便所に行列が出来ました。なんだかなあ。

10時間後は日本だ、と思って気が緩んだ私はビールを飲む。胃がスカスカで、胃が痛かったはずなのに、ビール飲めちゃう。丸2日寝ていたから、思っていたより回復したのかな。ついでにタンドリーチキンも食ってみる。辛くない、旨い。


さて土産物屋を見て回ろう。セキュリティチェックだ(出国した後にもセキュリティチェックがある)。結構厳しい。ライターは持ち込み禁止だと。えっ、まぢ?

隣ではラウンジでも一緒だった日本人のおばさんがセキュリティチェックで何回もやり直しさせられていて、「もう、なんてひどい空港なの、最低よ、最低」と私に向かってぶつぶつ文句を言ってくる。俺に関係ないじゃん、誰彼構わずグチ垂れるな、と思った私は「最近はどこの空港もこんなモンですよ」とお答え差し上げたら、「私はね、インドに5回も来ているんですよ、こんなひどい扱いを受けたのは初めてだわ」と私に向かって文句を言って去っていった。いやだから俺に文句を言うなって。


前日、私はデリーのJALに電話して、胃が痛くてどうしようもないから機内食は食いやすい物にしてくれ、とオーダーしていた。で、私の依頼を受けて出された食事は、フルーツ盛り合わせと「そばでスカイ」

隣の客が食っている物は、ビールが飲めるくらいに回復した私の胃でも受け付けそうな和食だった。失敗した。


機内で、南アフリカのラグビー代表の活躍を描いた映画「インビクテス」を見る。イマイチ。6点/10点満点


まあ、そんなこんなでビジネスクラスを使った正解一周は終了し、私は26日の朝、成田に到着。終わったよ、これで世界一周が終わったよ。

帰宅してイランの為替レートを調べた。


2万レアルは180円だった。

何が1万円だよ。最後の最後まで騙されまくりだったなあ。

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2010/07/13

5月24日 引き続き「タージマハル」で寝る。(7/28写真追加)

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さあ、引き続きゲロとゲリがすごいぞ。昨夜食ったクラブハウスサンドが胃にもたれている。ううむ。でも胃に何か入れなければならん。インドの高級ホテル・タージマハルの朝飯ビュッフェで飯。朝飯とは思えないくらい充実のビュッフェ。隣の席のインド人は朝からカレーのような物をむしゃむしゃ食っている。ちょっと離れたところでブレックファストミーティングを開いている日本人商社マンとインド人のグループは、大量のフルーツ、オムレツ、パン、何かの炒め物、ジュース、コーヒー、紅茶、大量に食っている。隣の一人旅っぽいラフな格好の日本人は、朝食メニューで食べられる物を片っ端から頼んでいる。朝食が充実しているホテルって素晴らしい。

でもねえ。ヨーグルトが市販のカップ入りのしょぼいのしかないんだよね。バナナとヨーグルトくらいしか食えない私には、旨そうな臭いが充満しているこのホテルの朝食は酷。


さて、世界一周は残すところ今日と明日のみ。ここまで土産を何一つ買っていないので、何かを買わなければならない。ゲロとゲリがひどいけど、土産を買うためデリー市内に向かう。

重厚な制服を着ているホテルスタッフに
私「デリーの街中まで歩くとどのくらい?」と聞くと、
制服「えっ!歩くのですか!40分以上かかりますよ、暑いですよ」
私「寝過ぎて体が硬くなってしまったので、少し動こうと思って」
制服「それならば止めませんが、辛くなったらすぐにタクシーをつかまえて下さいね」

で、デリーの中心部に行き、土産物を物色しようとするも、目当ての土産物センターが休館日。暑い中歩いて来たっつーのに何てこったい。すると、親切なインド人が「あそこは今日は休館日だ、代わりにここに行くといいよ、いい土産物を買えるだろう、私はインド政府観光局のスタッフだから、安心してくれ、おお、そこのオートリクシャ君、この日本人をここまで10ルピーで運んでくれたまえ」

自分でインド政府観光局のスタッフを名乗る通行人、その時点で怪しいっつーの。


で、オートリクシャのドライバーは、地球の歩き方にも載っているちゃんとした土産物センターに10ルピーで連れて行ってくれたのだが、その後が面倒だった。土産物屋で欲しいものがまったくなく手ぶらで戻ってきたら、オートリクシャのドライバーが「何か買った買い?」とにこやかに近づいてきて、「何も買っていないなら私がいい土産物屋に連れて行くよ」と。

ああ、面倒。

さらに「ちょっと疲れているみたいだね、そういうときはヨガだ。私の父親はヨガの師範で、私も幼い頃からヨガを教えてもらっている、まずは呼吸法だ、こうするんだ」

ああ、面倒だ。


そうこうしているうちに疲れてきてしまって(飯をろくに食っていないから)ホテルに戻る。ホテルの近くに到着すると、「200ルピーだ」。やかましいクソガキ手前ぇにそんな大金払えるか、50ルピーだ。「何を言っている、200ルピーと言っただろう」

ああ、面倒。

50ルピーだけ払ってギャーギャー喚くの無視してホテルの敷地内に行く。タージマハルホテルにはリクシャドライバーは入れない。


で、午前中デリーを少し回ってホテル戻ってダウン。ゲロとゲリが続いているので、またも寝る。

電話が鳴る。

なんじゃーい。

「誕生日おめでとうございます、誕生日に当ホテルに泊まっていただき、誠にありがとうございます。当ホテルから、お祝いのケーキをお持ちしたいのですが、今お伺いしてもよろしいでしょうか」

おお、そうなのか。そういえば私の誕生日だった。ゲロとゲリで忘れかけていたよ。今来てもいいよ。

程なく、ホテルスタッフ3人が、30cmの巨大なチョコレートケーキと、大きな花束を持って部屋に参上。

ありがとう。

ケーキはたぶんそれなりに旨いと思う。でもね、胃が痛くてゲロってゲリっている今の私は、旨いはずのケーキも満足に食うことが出来ないんだよ。

で、、、、


昼間っから寝る。

Hana


Cake



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2010/07/10

5月23日 デリーの高級ホテル「タージマハル」で寝る。(内容薄し)

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朝6:00、胃が痛い、何か口に入れなきゃ、そうだバナナを買いに行こう。でもバナナを売っている店がまだ開いていない。

7:30、再びバナナ探し。4本10ルピー(20円)で購入。ゆっくり食う。

11:45、チェックアウトし、オートリクシャでタージマハルホテルの近くまで行ってもらう。

私「タージマハルホテルまで行ってくれ」
リクシャ「あんた、タージマハルに泊まるのかい?」
私「いや違う。今日の夜に帰国するので、記念にタージマハルのレストランで飯を食うんだ」

タージマハルに泊まるような客なら吹っ掛けようと思ったんだろうなあ。で、オートリクシャはタージマハルの近くに停まり、「オートリクシャはホテルの敷地内に入れないから、ここで降りてくれ」

タージマハルホテルは、ホテルの建物内に入る際、すべての荷物をX線でセキュリティチェックされた。(聞き間違えていなければ)ムンバイで起きた同時多発テロ以降、客の安全を図るために導入されたのだそうだ。


館内は豪華。過度な装飾は感じられず、上品な豪華さ。ホテルスタッフは重厚な制服を身にまとい、フレンドリーすぎない程度に親しみを込めて話しかけてくる。ただし、スタッフの英語が皆ひどいインド訛りで、何言っているのかさっぱりわからないことが難点だったが。

リュックでやってきたから変な目で見られるかと思っていたけど、日本人でそこそこ年取っているからか、別段怪しまれもせずチェックイン。その際、「ダージリンでひどい出来事に遭遇して、ショックで胃が痛いんだ。今日は部屋から一歩も外に出ないかも知れないけど、気にしないでくれ」と言っておいた。


で、19階と眺めのいい部屋に案内される。

なかなか眺望がいい。けど、デリーは大気汚染がひどいので、遠くは霞んで見える。


電話が鳴り、「ウェルカムサービスをお届けします」とのこと。タバコが切れていたので、「タバコある?マルボロライトなんだけど」「もちろんございますとも」。

程なくしてティーセットとタバコが届けられた。ここでもまた胃が痛い件を話すと、「それは薬を飲むべきです。医者を呼んできましょう」。それは嬉しいのだが、医者代いくらかかるのかなあ。まあ保険でカバーされるかな。

医者がやってきたので、またダージリンの話をし、今現在胃痛と嘔吐と下痢が発生していると話す。医者は「それは大変な出来事に遭遇してしまった、体調が悪くなるのも無理はない。吐き気止めと、吐いたあとに飲む栄養剤と、下痢止めを処方しよう。食事はバナナかスイカかヨーグルトだけが望ましい。フレッシュジュースは禁物だ。ラッシーもダメだ。安静にしていたまえ。それで往診料なんだが、2200ルピーだ。今キャッシュで払うかね、それともホテルに付けておくかね?」

2200ルピーなんてキャッシュで持っていません。ホテルに付けておいて下さい。


そのままこの日は部屋から一歩も出ずに、ひたすら寝る。相変わらず嘔吐と下痢が続く。


21:00、胃に何か入れなければ。ルームサービスでクラブハウスサンドとバナナを頼む。サンドは1000ルピー。バナナは2本で400ルピー(800円)。
20_roomservice


寝る。


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2010/07/07

5月22日 デリーに戻ってゲロる。(写真ナシ)

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シリグリの宿のフロントに、
「朝飯はどこで食うの?」と聞いたら、
「部屋に持って行く。何食う?」とメニューを見せてくれた。

オムレツ頼んで、ぼけーっと待つ。小僧が朝食を持ってくる。チップはやらん。チップを払うほどのサービスは受けとらんのだ、わかるかね、小僧。

タバコを買いに行く。すげえ二日酔いだ。近所じゃマルボロが売ってない。20分くらい歩きまわって、ようやくマルボロゲット。

ツアーエージェントのマイクと落ち合う。マイクも相当飲んだはずなのに、けろっとしている。見た目と違って若いのだろう。きっとそうだ。昨日のドライバーは既にダージリンに戻ってしまったので、空港までタクシーで行ってくれ、代金はもちろん払っておくから。ということでマイクともお別れ。

タクシーで30分走り、バグドグラ空港に着く。噂には聞いていたけど、フライトチェックインの段階で機内持ち込みのセキュリティチェックがあり、かなり厳しい。リュックにタグが取り付けられる。このタグがないと、機内に搭乗できないのだそうだ。

で、タバコが吸いたくなった。セキュリティチェックのお姉さんに「タバコ吸う場所ある?」と聞くと、「んー、どこかしら、私は吸わないから……ねえあなた(と男の係員に)知ってる?」「トイレだ」「そうね、トイレなら大丈夫よ、大便用の個室で吸えばOKよ」

マヂっすか? いいんすか、そんなとこで吸って?

よくわからないけど、いいと言っているからいいのだろう。便所に行く。すると、大便用個室は全部埋まっていて、しかも行列が出来ている。行列の最前列にいる若者は、靴を脱ぎズボンも脱ぎ始めた。脱がないと用を足せないタイプなんだろう。しかし、公衆の面前でブリーフ一丁になるって、我慢の限界が近いんだろうな。


5分待っても行列がちっとも進まないから、タバコ(をトイレで吸うの)は諦めた。


そろそろ昼なので飯を食いたかったのだが、バグドグラ空港に3カ所くらいあったレストランは、どこもかしこもインドのきつい臭いが漂っており、どう考えても胃に優しくなさそう。機内で飯を食うことにする。


搭乗に並ぶと、警察のような連中によるセキュリティチェック。フライトチェックイン時のセキュリティチェックでOKだったのに、「何だこれはー、カバンを開けて中の荷物を見せろー」と言われる。
「これは何だー」
「ウィスキーの小瓶です」
「没収だー。これは何だー」
「チェキって言う日本のインスタントカメラです」
「何ぃっ、じゃあ写真を撮ってみろー」
「フィルム無いから無理です。ふたを開けます。シャッター切ります。フラッシュ焚いてみます」
「むぅ。こっちは何だー」
「ノートパソコンです」
「電源入れてみせろー。よーし。これは何だー」
ゴリラポッドというクネクネする三脚です」
「何ぃ。これが三脚だとぉ。どうやって使うんだー」
「こんな感じで、クネっとさせて適当なところに巻き付けるのです」
「これは便利そうだな。うむ、行って良し」

面倒なセキュリティチェックだ。


機内に乗りこむ。私はもちろん通路側。すると、隣に座っている親子連れが「私たちは通路をはさんだ向こう側に座っている男と家族なの。席変わって」というから、即答で「ヤダ」。親子連れはぶんむくれる。冗談じゃない、飛行機で最もいい席は通路側なんだよ、誰が変わるか。

機内で昼飯を食おう、早く売りに来なさい(格安航空会社のジェットエアウェイズだったので、機内食は販売方式)。

腹減って胃が痛くなってきたので、とにかくもう早く飯を食いたかったのに、全く何も売りに来ない。そうこうしているうちに、経由地のゴーハチという空港に到着。まだ売りに来ない。いい加減インド人乗客も「のど渇いたー」「腹減ったー」と騒ぎ出す。

さすがにCAが水の無料サービスを始めた。トレイに紙コップのっけて、2リットルのペットボトル持って前の席から順番に配る。2リットルごときのボトルなので、10人に配ったらペットボトルを取りに戻る。また配りに来る。既に水を配った客から「もう一杯ちょうだい」と言われ、CAは素直におかわりを注ぐ。おかわりOKか、と気づいた他の乗客が、「俺もおかわりー」「私もおかわりー」

ちっとも私のところまで来やしない。

あー、のど渇いたー、腹減ったー。


もう面倒だから、CAのところに行って直接「俺にもくれ」と強奪。ね、通路側って便利でしょ。


飛行機がバグドグラ空港を飛び立ってから2時間以上経った頃に、ようやく機内販売開始。メニューは実に貧弱で、まともなものが何もない。ノンベジタリアンサンドイッチを頼む。これが、かなり辛くて不味くて、食った直後に吐きそうになった。しかし、胃に何か詰め込まないともっとひどい事態を招きそうだったので、無理して食う。

すると、だ。

隣の親子連れが「ねえ、トイレ行きたいからどいて」だとよ。

お前なあ、今飯食ってるだろ、食い終わるまで待てないのかこのクソインド人。それともアレか、席変わってやらなかった事への仕返しか、コラ。


飛行機は、経由地ゴーハチでの乗換客の搭乗に手間取り1時間遅れでデリーに到着。ああ、づがれだ。


さあ、ダッシュで降りてパハールガンジに行くぞ、と通路に並んでいたら、目の前の客が棚から荷物取り出す際に落として、それが私の頭に直撃。結構でかいトランクがまともに当たった。「いってえ」「オォ、ゴメンゴメンゴメン」「っぁっ、いってぇぇぇ」「オォ、ゴメンゴメンゴメン」

ああ、もう踏んだり蹴ったり。


プリペイドタクシーでパハールガンジに向かう。気温40度超え。ああ、暑い。


泊まろうと思っていた宿は満室。紹介してもらった宿(有料Wi-Fiあり)にチェックイン。小僧が荷物を部屋まで運んだので、しょうがないから10ルピー(20円)渡すと、「少ない。1USドル寄越せ」と文句を言う。ナニコラクソガキ、と思ったけど怒鳴りつける体力が残っていないので1ドル上げてしまう。


シゲタトラベルのラジェンダさんに挨拶。「いやぁ、ダージリンでひどい目にあったよ」「それは大変でした。インドじゃこういうことがときどきある。残念だったけど、仕方がないね。今晩、日本の方と食事するので、一緒に行きましょう」


ということで、グリーンチリ(という有名なレストラン)で、ラジェンダさんのおごりで飯。旨いは旨いけど、辛くて胃が痛くて食が進まない。困った。日本の方々ともお話しする。同じ宿に泊まっていることがわかり、「いやあ、さっきクソガキに1ドル渡しちゃった」と私が言うと、「それはいけないなあ、あれでしょ、あの小僧でしょ、それはいけないなあ、あのガキは後できっちり躾けときましょう」と空手の得意な方が憤られておりました。


宿に戻って早く寝ようとするのだけど、胃が痛くて眠れない。

0:00頃から吐き出す。30分に一回吐く。大して物を食っていないのに、なぜこんなに吐けるのだろう、というくらい大量に吐く。吐く。吐く。

4:00になっても眠れず吐き続ける。こりゃだダメだ。直接的な原因は昨日の夜にストロングビールを飲み過ぎたせいだけど、自分で思っている以上に精神的なショックがあったのかもしれん。この状態で、パハールガンジの安宿街に泊まり続けるのは難しい気がしてきた。厳しい。また吐く。


デリーで有数の高級ホテル「タージマハル」のサイトを見ると、通常価格1泊2万ルピー(4万円)が1万ルピー(2万円)に値下げしている。

1日1ドル以下で暮らす人が大勢居るインドで、1泊1万ルピー。

まあいいや。予約ボタンをポチッ。

また吐く。

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2010/06/30

5月21日昼以降 ダージリン脱出。シリグリ着。

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14:00、ツアーエージェントのマイク、ドライバーと3人でダージリン脱出。

15:00、ダージリン鉄道グーム駅を少し越えた辺りで、警察チェック&トイレ休憩。ダージリンへ向かうときも同じ道を通ったけど、そのときは警察チェックがなかったので、今回の政治テロで警備が強化されたのだろう。

私たちの他に2台車が停まっていて、タバコを吸っている人たちが居る。どう見ても日本人なので、声をかけてみる。

私「すいませーん、日本の方ですか?」
彼ら「えっ、ああ、そうですけど」
私「やっぱりダージリンからの脱出ですか?」
彼ら「えっ、何ですか、脱出って?」
私「違うんですか!?」
彼ら「僕たち今朝バグドグラ空港に着いたばっかりですよ」
私「ということは、これからダージリンですか?」
彼ら「何ですか?ダージリン脱出って?」
私「今朝、ダージリンの私が停まっていたホテルの目の前で政治テロがあり、反政府団体のリーダーが殺され、ダージリン市内は軍と警察によって封鎖されているんです」
彼ら「えっ、マヂっすか!?」
私「マヂっす。これが証拠写真」
彼ら「えーっ、これマヂ!? ちょっとやばいんじゃないの、これ。今朝、予約済みのダージリンのホテルに電話したけど、そのときは何も言ってなかった」
私「ダージリン鉄道がストやっているのは聞きました?」
彼ら「それは聞いた。でもなあ、ダージリンに行くためにここまで来たから、ストやっててもダージリンに行かないと何のために来たのかわからへんし」
私「グーム駅周辺辺りは騒ぎの影響があまり見られなかったけど、そこから先、ダージリンに近づくにつれ店は閉まっているし軍関係が目立つようになるし」
彼ら「大丈夫かなあ」
私「もし危険を感じたら、グーム駅近くまで戻って、適当な宿見つけた方がいいと思いますよ」
彼ら「うん、わかった。ありがとう」
私「気をつけて」

17:00過ぎ、バグドグラ空港およびニュージャルパイグリ駅から一番近くて大きな街シリグリ(Siliguri)に到着。涼しかったダージリンから、気温30度を超える街の中級宿にチェックイン。エアコンがフル稼働中。ちょっとオンボロだけど、それなりに清潔。


ツアーエージェントのマイクが、「飯食いに行こう。酒飲む?」と聞くから「飲む」と返事。

マイクに連れて行ってもらった店。
10_restau


店のオヤジは陽気なチベット人。チベット語とネパール語とヒンディー語と英語を喋る。見た目は轟二郎というか何というか日本人。
13_toddoroki

この家族には3人子供が居て、チェキでインスタント写真を撮ってあげると大喜び。


マイクが酒を飲め飲め言うから、ストロングビール(アルコール度数10%のビール)をがぶがぶ。トイレトイレトイレ。
11_toilet

とはいえ、このトイレはインドじゃマシな方じゃないかと。


ストロングビールを2本飲んだところで、マイク&轟二郎一家に挨拶して、ネットカフェに向かう。言ったネットカフェでは、外国人が来るのがかなり珍しかったみたいで、いろいろと質問される。

ネカフェ従業員「どこの国から来たんだ?」
私「日本だよ」
ネカフェ従業員「どうしてこの街に?」
私「午前中はダージリンにいたんだ。ダージリンの事件を知っているか?」
ネカフェ従業員「知ってる」
私「ダージリンから脱出してきたんだ」
ネカフェ従業員「ネットで何をしているんだ?」
私「見ない方がいい」
ネカフェ従業員「気になるじゃないか。構わないから教えてくれ」
私「内緒だぞ。このビデオ(殺害直後のやつ)をyoutubeにアップしているんだ」
ネカフェ従業員「Ohhhhh」

私「な、見ない方が良かっただろ」
ネカフェ従業員「これをアップロードしている間、他のインド人に見られないように世間話をしよう。日本ではどんな音楽が流行っているんだ?」
私「音楽か。やっぱPerfumeだな。これだ、聞け」
ネカフェ従業員「これはどういうジャンルの音楽なんだ?」
私「テクノが混ざったジャパニーズポップスだ」
ネカフェ従業員「他は?」
私「レミオロメンと大塚愛とGReeeeNを聞け」
ネカフェ従業員「インドミュージックは聴かないのか?」
私「聞くよ」
ネカフェ従業員「そうか、そうか」


なーんて感じでアップロードし終わって、轟二郎の店に戻った。

まだマイクが飲んでいて、私もさらにストロングビールを2本飲んだ。計4本。日本風に換算すると、ビール大瓶8本である。


吐きはしなかったけど、べろべろぐでぐでに酔っ払って、転んでヒザヒジ手のひらに擦り傷だらけ。「大丈夫か?」と近寄ってきたインド人に「だーいじょーぶだぁよぉ、酔ってねえよぉ」などと言って追い返して、そして私は宿に戻って寝る。



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2010/06/25

5月21日 ダージリンで政治テロに巻き込まれ、目の前で政治家が射殺される。

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朝焼けの青い空を見ることができた。今日はヒマラヤ登山学校の見学があるから、昨日一昨日より良い景色が見られるだろうし、エベレストがどこか、カンチェンジュンガがどれなのかもわかるだろう。

早朝の目覚めのあともう一度眠りにつき、7:00に起きて飯。

朝から、近所で音楽をガンガンかけながらわいわいがやがや騒がしい。平日なのに祭りでもやっているのかな?と、のんきな私。

8:30、ホテルのスタッフが部屋にやってきて、「君は今晩も泊まって3泊なんだよね。でもツアーエージェントのマイクからは2泊で依頼を受けているんだ。まずいことに、君が泊まっている部屋は今晩別の予約が入っているんだ、それでマイクを呼び出した。今晩どうするかをマイクと相談する」

あら、まあ、そうなの。今と同じグレードの部屋なら別に構わないけど、ドミトリーはイヤだよ。それにさ、9:30にホテルの向かいにあるマイクの会社前でドライバーと待ち合わせしてるから、とりあえず荷物を移動しやすいようにまとめておくから、昼過ぎに戻ってきてから詳細を相談しよう。

と答え、急遽荷造り開始。リュック一つでインドに来たのが幸いしたね。


9:20頃、スタッフをドアの所に呼び、

荷物はまとめたよ、このリュックと濡れたタオルとウィスキーのミニボトルの3点ね、じゃあ私は観光に行くよ。

スタッフは「OK」と言いつつ、部屋に入ってきて窓を開ける。音楽がじゃんじゃん鳴り響いていて、スタッフは窓から身を乗り出しその様子を見る。(窓枠がけっこう高い位置にあり、身を乗り出さないと道路が見えない)


急に音楽が鳴り止んだ。


「Aohhhh」

スタッフが叫ぶ。

どうしたのだろうと私も窓から顔を出す。


人の首から1mくらい血が噴き出している。


私「What?」

スタッフ「Murder」

私「Why?」

スタッフ「I don't know」

私「How?」

スタッフ「Gun shoot」

撃たれた人が、血を吹き出しながら崩れ落ちていった後から、私は撮影を始めてしまった。

以下、限定公開のyoutube。それなりにグロい映像なので、動画埋め込みはしません。(リンクを開けば普通に見ることができます)
http://www.youtube.com/watch?v=z8VhbZK54kQ


その後、警察と軍が入り乱れ野次馬を強制排除。殺害現場は保存された。
After_murder


目の前で人が血を吹き出しながら殺された。現実感が伴わない。

首筋をやられると、ものすごい勢いで血が噴き出るんだなあ。


あ、もうすぐ9:30だ。観光に行かなきゃ。


私「時間だから待ち合わせ場所に行かなきゃ」

スタッフ「何を言っているんだ、今は外に出るな、軍に捕まるぞ」

私「じゃあどうしたらいいんだろう」

スタッフ「とにかく、今は外に出るな、窓から顔を出すな、ツアーエージェントのマイクが来ると思うから、それまで待っててくれ」


そりゃそうだよな。人が殺されたんだもんな。

スタッフを呼ばずにそのまま外出していたら、襲撃現場に居合わせて、私も射殺されていたかも知れない。そのくらいの時間差だったんだよな。


上の階にあるロビーに行く。大勢の観光客(半分外国人、半分インド人)が、

「何があったんだ?」
「反体制派グループが政治集会を開いていて、そのリーダーが撃たれたらしい」
「なんで?」
「西ベンガル州政府職員のストに抗議する集会だという話だ」
「なんで撃たれたんだ?」
「インドではよくあることだ」
「それでどうなるんだ?」
「今日は商店もレストランも観光案内所も何もかも休みになる」
「今すぐこの町を出ないと」
「道路封鎖されていると言う話も出ている」
「外国人は大丈夫だろう」
「インド人は拘束されるかも知れないぞ」


外国人観光客数人と、インド人の裕福そうなオヤジに、私が撮ったビデオを見せる。皆が「Ohhh」「Ahhh」と言う反応だったが、

ホテルオーナーは反応が違った。
オーナー「君、そのビデオは誰にも見せるな」
私「なぜ?」
オーナー「そんなビデオを撮っていたことを知られると、君は軍や警察や犯人グループに拘束されるかも知れない」
私「でも、誰にでも見せる訳じゃない」
オーナー「どこかのインド人に見せると、そのインド人から噂が伝わり、いずれ君のことが特定される可能性がある」
私「じゃあどうしたらいいの?」
オーナー「誰にも見せないことだ」
私「消した方がいいかな」
オーナー「君が決めることだ」


10:20頃、ツアーエージェントのマイクがやってきて、「今日中にダージリンを脱出する。18:00に出発する。それまでこの部屋を使っていいと、オーナーと交渉した、待っててくれ。店はやっていないけど、広場とかなら行って問題ないと思う。それでは18:00に」


どうしようかなあ。

撮ったビデオをパソコンに落とし、カメラ本体からはデータを消した。


11:00過ぎ、マイクが再びやってきて「よかった、まだ居た。14:00出発に変更だ、ドライバーが確保できた。昼飯はホテルで食ってくれ。それまで外に出ないでくれ、ちょっと危険だ」


なんか、とんでもない事態に巻き込まれたのかも知れない。


ホテルはwifiが使えるので(但し電波弱いしよく不通になる)、ロビーでネットを試したらつながった。速報記事が出ていた。リンク先は後日差し替わった詳細記事。
ダージリンタイムス(これもそれなりにグロいです)(2012/10/19補記:リンク切れ。殺された人はMadan Tamangリンク先は英語で、殺された方法も銃じゃなく、ナイフで首を切られたみたい)

つづく。


(このエントリーを書いているのは6月25日です。5月21日の夜に、脱出後に着いた町からネットで動画をyoutubeにアップしたところ、コメント欄に「お前を捜し出して絶対殺す」というコメントが3件入っていました。さすがにちょっと恐くなったので、いったん動画削除し、今回再度アップするのです)

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5月21日早朝 ダージリンの朝は美しい。

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昨日の夜、雷とともに雨が降ってきて、町は停電になった。ホテルも最小限の明かりしかつかない。だからさっさと寝た。そのせいか、この日は朝4:00に目が覚めてしまった。

昨日見に行った濃霧のタイガー・ヒルとは異なり、夜明け前独特の青い空が広がっていた。
7_yoake

泊まっているホテル(デケリン)の窓からは、ヒマラヤ山脈が見える。天気が良ければエベレストも見える、と宿のスタッフが言っていた。ホントかどうかは知らないが。


夜明け前の青い空がこんなに綺麗なのか。昨日タイガー・ヒルでこの景色を見たかったよ。


しばらく青い空を眺めていたけど、まだ4:30。もう一眠りしよう。



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