歌川令三他「サイバージャーナリズム論」感想。
いわゆる新書。2007年08月24日読了。

歌川令三・湯川 鶴章・佐々木 俊尚・森 健・スポンタ中村【著】 /ソフトバンククリエイティブ 2007/07出版 279p 18cm ISBN:9784797342406 ¥735(税込)
ネットでの無料のニュース報道が増えることによって、報道そのものがどのように変化していくのか、ということにかなり興味を持っているので、最近この手の本を見かけるたび買っている。
この本は5人の共著という形を取っているためか、内容が散漫で、結局のところサイバージャーナリズムの未来を語るのではなく、ジャーナリズムとは何か? に話が終始していた。ように思う。一つだけ引用すると、
>ニューヨークタイムズのニセンホルツ氏は「読者が求めているのは、偏見のない正確な報道だ。この点で報道機関はネット上の大衆発信情報より優れている」
とあるのだが(前後の文脈を引用していないから正確な引用ではないけど)、
日本の報道機関=新聞およびテレビは、権力を叩く(だけ)という偏見に満ちあふれ、また報道の内容はプレスリリースの垂れ流しで正確ではない。
例えば先日の新潟地震で、柏崎原発に併設枠された変電所の火災が、さも原発そのものの一大事だとばかりに報道されたが、あの大地震で原発がメルトダウンしなかったこと、つまりチェルノブイリと同じことが発生しなかったのが偶然ではなく、原発のセーフティ機能が正常に動作したので設計通りに原発が停止したことを正確に報道したのは、メジャー系では読売新聞の社説(原発と地震 原子炉の安全は確保されている・7月26日付社説)だけだ。と思う。ちなみにこの社説、今ヨミウリオンラインでは検索できなくなっているし、その後の読売の論調は東電バッシングに走っているから、やっぱり何というか日本の報道機関は信用ならんなあ、と思うのである。
まあ、いいか。
4点/10点満点
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コメント
ご拝読をいただきありがとうございます。また、感想まで頂戴して、著者のひとりとして感謝もうしあげます。
散漫との印象。そうかもしれませんね。
それから研究会は、なかなか時間的な制約が厳しかったので、お互いの合意に至るようなことが難しかった。
そういうことがあるのかもしれません。
とはいえ、安易に合意するのではないところが、2007年の多様な状況を暗示しているといえるのかもしれません。
さて、引用された、>ニューヨークタイムズのニセンホルツ氏は「読者が求めているのは、偏見のない正確な報道だ。この点で報道機関はネット上の大衆発信情報より優れている」に関してですが、
結局のところ、発信者の主観性を100%払拭することはできないので、偏見のない正確な報道というのは、理想としては成立するが、現実的には無理。というのが、現実です。
ならば、主観のありかを明確にするとともに、そのような主観を多様に存在させることが、言論空間にとって健全なのだと思っています。
言及ありがとうございました。
投稿: スポンタ中村 | 2007/08/28 06:28
著者からコメントをいただけるとは思ってもいなかったので驚いております。
それはさておき、私のことを少しだけお知らせすると、私はパソコン通信(Nifty)を16年前からやっており、my.yahooで自分のID(amen)を取得したのが1998年。だからネットの世界には相当長く住み着いています(精通しているかは別として)
>発信者の主観性を100%払拭することはできないので、偏見のない正確な報道というのは、理想としては成立するが、現実的には無理。というのが、現実です。
このご意見はその通りでしょうね。
ネット上で意見を発する人が増えたおかげで、マスメディアが変な報道を行うと、ネット上で即座に批判論が展開されます。
昔はマスメディアが多少変なことを言っていて、それに対しおかしいと感じても、おかしいことを確かめる手段が少なかったのに対し、今は上記のごとくネット上でおかしなことはおかしいと確認することができる。
これがマスメディアの信頼性が揺らいできた一因と思っています。
>ならば、主観のありかを明確にするとともに、そのような主観を多様に存在させることが、言論空間にとって健全なのだと思っています。
偏見のない報道が事実上無理なのですから、マスメディアは、報道を行う際に自らのスタンスを明確にすべきだと思っています。報道ステーションの古舘伊知郎のように権力を叩くのは結構なのですが、ただ何でもかんでも叩くのは、もはや報道ではなく、視聴者に対する人気取り以外の何ものでもない。
話がずれてしまいましたので、これで終わりにします。コメントいただき、当ブログの存在価値に多少の自信を持てました。(最近かなり悩みながら当ブログを続けていますので)
有り難うございました。
追伸:今のグーグルに魅力がなくなってきた、と私は思います。
追伸2:セカンドライフは、どうもどこぞの広告代理店が日本で流行らせようと躍起になってテレビで取り上げていますが、操作性が悪く、そんなに流行らないと思うし、流行ったら流行ったで、行き着くところは新たな出会い系サイトになるだけ、のような気もしています。
投稿: 天野才蔵 | 2007/08/28 07:29
リプライありがとうございます。
いまのウェブの問題は、批判言論が現出するも、オーソライズ(権威化)するものがないから、マスコミは無視しようとすれば無視することができる。ということです。
グーグルは商業化の中で当初の理想を捨てざるをえなくなり、セカンドライフは所詮バーチャルモールに過ぎないのでしょうね。
よろしければ、私のブログにあそびにきてください。
ほんとうにありがとうございました。
投稿: スポンタ中村 | 2007/08/30 07:13