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2011/11/30

ダンビサ・モヨ「援助じゃアフリカは発展しない」を読んでふと思ったこと。

一個下の読書感想でダンビサ・モヨ「援助じゃアフリカは発展しない」を取り上げました。

この本に書かれている内容は、「援助じゃ日本の農村は発展しない」と読み替えることもできます。

ジャブジャブ注ぎ込まれる補助金。これ良いのか日本の農業。

※参考書籍:浅川芳裕「日本は世界5位の農業大国」



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2011/11/29

ダンビサ・モヨ「援助じゃアフリカは発展しない」感想。
提言書。2011年11月16日読了。

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援助じゃアフリカは発展しない


本書の著者ダンビサ・モヨは、ザンビアの首都ルサカで生まれ(両親ともザンビア大学を卒業しているエリート)、ザンビアで小学、中学、高校、大学へと進学したが、著者の大学在学中にザンビアでクーデターが起きて国内が混乱し大学が閉鎖されたため、著者はアメリカに渡り、アメリカで奨学金を貰いながら高等教育を終了し(カレッジだと思う)、世界銀行で2年間働いた後、ハーバードの修士課程で2年間、オックスフォードの経済学博士課程で4年間勉強し、ゴールドマンサックスで8年働いて、本書を執筆。(現在は執筆活動を中心にしているのかな?よくわからん)

本書の原著「Dead Aid」は2009年に出版され、「フィナンシャル・タイムズ」などで取り上げられ評判となり、日本語版は昨年(2010年)8月に出版された。

というわけで、昨年買った積ん読本をようやく読み終えました。


本書が発するメッセージはタイトルの通りで、際限のない援助がアフリカ諸国の発展を阻害している、という内容である。

それなりの量のアフリカ関連本を読んでいるせいか、この手の話はたびたび出てくる。最近読んだ本だと、石弘之「キリマンジャロの雪が消えていく」には、善意で「アフリカで井戸を掘る」行為は、砂漠に近い場所でこういう善行をしても、井戸ができることによって遊牧民が井戸の周りに住み着き、遊牧民が飼っている家畜が井戸の周りの草を根こそぎ食い荒らし、砂漠化が加速するケースもある、と出ている(もちろん全ての井戸掘りが駄目とは言ってないが)


本書はそれよりももっと過激に、

国連が援助する資金によって肥え太るのは独裁政権だけであり、それがわかっていながら国連の官僚システムは国際援助そのものが目的と化しているのでなかなかやめられない、とか、

U2のボノが困窮極まる最底辺の人たちを助けるためにチャリティーを行うが、その金で寄付された物資(もちろん無料で配られる)のせいで、地場産業が壊滅的な打撃を受ける、とか、

まあ、そういうことが書かれている。


データの信憑性に?がつく部分があったり、計算根拠の異なるデータを並べて比較したり、極論が多すぎたりと乱暴な部分も目立つが、とはいえ「援助は役に立っていない、むしろアフリカ諸国の発展を阻害している」ことを経済学者らしくデータで説明している点や、ザンビア出身でザンビア大学に通っていた著者だからこそわかるザンビアの(ひいてはアフリカ諸国の)問題点を指摘しているなど、説得力も高い。


著者のメッセージのなかで、「アフリカにおける開発の難しさは二つの道筋の板ばさみとなっていることである。一つはアフリカの人々を、開発に自力で取り組めず成長を自ら達成できない子供のような存在であると見なすアプローチである。もう一つは、持続可能な経済成長に目標を定めようとするならば、アフリカの人々が大人として扱われる必要があると考えるアプローチである。もちろんのこと、援助依存モデルの問題点は、アフリカ諸国が永遠に無邪気な子供のような国家として扱われていることである」(P43)

という部分は印象的であった。


また著者は、援助ビジネスに関わる人の多さにも言及している。要約すると、
世界銀行に1万人、
IMF(国際通貨基金)に2500人、
他の国連機関に5000人、
公認のNGO、民間慈善団体、政府の援助機関団体の従業員が少なくとも2万5000人、
そのほか全てを合わせると、およそ50万人が援助に関係している。(P77)

逆説的に言うと、国際援助というシステムが無くなると、一番困るのは援助でメシを食っている上記50万人だ。(私の注:この50万人には、無償ボランティアは含まれていないと思います)

だから、国際援助は無くならない。

そしてアフリカ諸国の、特に独裁国家の独裁者達は、国際援助が無くならないことを知っている。
(本書のP7に、ポリティIVのデータベースによると、アフリカには完全な独裁国家が11ある。ブラザヴィルコンゴ、赤道ギニア、エリトリア、ガボン、ガンビア、モーリタニア、ルワンダ、スーダン、スワジランド、ウガンダ、ジンバブエ、と書かれている。他にもアンゴラ、ブルキナファソ、カメルーン、ギニアも可能性大)


事実として出ているデータで興味深かったのは、ガンビアとエチオピアの財政収入の97%が援助らしい(P102)。
財政収入の97%が援助って、世界が見捨てたらこの2つの国民は数ヶ月後には大量死ってことだ。


また、アフリカでビジネスを行う際に発生する手続きの面倒くささの例として、
カメルーンではビジネスの免許を取得するのに15の手続きに426日、
中国では37の手続きに336日、
アメリカでは19の手続きに40日、
比較的マシなアンゴラは12の手続きに119日、
でも韓国なら10の手続きに17日、
でビジネス免許が取得できる。(P140)

これじゃあ外資は呼び込めないよなあ。


とはいえ、一般市民の大半が銀行口座を持っていないケニアでは、SMS=ショートメッセージしか使えない携帯電話を使った国内送金サービス「エムペサ(M-Pesa)」が急速に普及している例も紹介している(P195)。2007年に誕生したこのシステムは、近々国際送金にチャレンジするらしい。そうなったらアジアを含めて急速に世界のマネー流通の勢力図が塗り変わるかもしれないな。


雑多な感想になってしまったが、荒っぽい内容の本だが、アフリカに詳しくなくても、援助ビジネスに詳しくなくても、社会学に興味が無くても、アフリカが抱える援助の問題点は理解できると思うし、わかりやすく書かれていると思う。


良書である。


※追記:本書ではボツワナが援助に頼ることをやめ、結果的に国債格付けなど経済的に良好な状態を保つことができていることにも言及している。アフリカ投資の入門書としても本書を読む価値があると思う。


7点(とはいえやっぱり内容は粗いので)/10点満点


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2011/11/28

リトヴィネンコ/フェリシチンスキー「ロシア 闇の戦争」感想。
ルポ。2011年11月11日読了。

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ロシア闇の戦争―プーチンと秘密警察の恐るべきテロ工作を暴く


ロシア連邦保安庁=FSB(昔のKGB)の上級将校で、FSB幹部から指令された違法な暗殺行為に嫌気が差し、1999年にその事実を暴露して逮捕されたリトヴィネンコ。その後釈放され、2001年ロンドンへ政治亡命。2006年にポロニウムという放射性物質で暗殺された。

そのリトヴィネンコの証言、すなわちFSB=ロシア政府がロシア市民に対して行っている非道を、アメリカに移住したロシア人歴史学者フェリシチンスキーがまとめたのが本書。

本書のメインは、第二次チェチェン内戦の引き金となった「ロシア高層アパート連続爆破事件」は、チェチェン(に住むイスラム教徒のチェチェン人)をぶっ潰す目的でFSBが仕掛けた自演行為であるという数多の証言を元に構成された暴露話である。


その他にもロシアの闇の部分が無数に記載されている。


が、大きな話と小さな話が混在していること、

闇行為に加担している政府側の人物名と、証言者や被害者やその他雑多な人物名が、同じレベルで記載されている、
とにかく登場人物が多すぎる、

テーマが絞りきれてなく、とにかく内容を詰め込み過ぎ。


などの理由でとても読みづらく、散漫な印象しか残らない。


4点/10点満点


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2011/11/27

石井光太「遺体―震災、津波の果てに」感想。
ノンフィクション。2011年11月09日読了。

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遺体―震災、津波の果てに

◆内容(紀伊國屋Bookwebより)
2011年3月11日。
40000人が住む三陸の港町釜石を襲った津波は、死者・行方不明者1100人もの犠牲を出した。
各施設を瞬く間に埋め尽くす、戦時にもなかった未曾有の遺体数。
次々と直面する顔見知りの「体」に立ちすくみつつも、人々はどう弔いを成していったのか?
生き延びた者は、膨大な数の死者を前に、立ち止まることすら許されなかった―遺体安置所をめぐる極限状態に迫る、壮絶なるルポルタージュ。

プロローグ 津波の果てに
第1章 廃校を安置所に
第2章 遺体捜索を命じられて
第3章 歯型という生きた証
第4章 土葬か、火葬か
エピローグ 二カ月後に
戦争以来の膨大な数の遺体が目の前に――岩手県釜石市での極限状態を描く、壮絶なるルポルタージュ。日々増え続ける遺体を誰がどのように弔ったのか?


◆感想

誰もが知っていることだが、大震災で未曾有の被害が出た。
津波が襲った海沿いの街では、膨大な数の遺体が出た。
毎日数十体の遺体が発見された。それが何十日も続いた。

本書の著者石井光太氏は、3月14日(月)に新潟経由で宮城県に入り、この日から3ヶ月のうち2ヶ月半を被災地で過ごした。

被災地で見た圧倒的な現実。それは遺体だった。本書の巻末にある「取材を終えて」より抜粋すると

「最初は、福島、宮城、岩手の沿岸の街を回り、そこでくり広げられる惨劇を目撃することになった。幼い我が子の遺体を抱きしめて棒立ちになっている二十代の女性、海辺でちぎれた腕を見つけて「ここに手があります!」と叫んでいるお年寄り、流された車のなかに親の遺体を見つけて必死になってドアをこじ開けようとしている若い男性、傾いた松の木の枝にぶら下がった母親の亡骸を見つけた小学生ぐらいの少年……目に飛び込んでくるものは、、怖気をふるいたくなるような死に関する後継ばかりだった。」


そして石井光太氏は、遺体をテーマに本書を書き上げる。


元葬儀屋社員で、現在は引退して市の民生委員の視点で。
遺体の検案作業をするため、ひたすら遺体と向き合った釜石市医師会会長の視点で。
身元不明の遺体を確認するため、遺体の歯形を確認する作業を行った歯科医の視点で。
遺体の発見場所から遺体安置所までの運搬を命じられた釜石市役所職員の視点で。
いち早く被災現場に駆けつけ、そして次々と遺体を発見する消防団員の視点で。
瓦礫の山を解体しながら生存者を捜索し、しかし次第に遺体ばかり発見することになるする自衛隊員の視点で。
遺体安置所にある遺体を腐らせないようにするために奔走する葬儀屋の視点で。
遺体が安らかに眠ってくれるよう、遺体安置所で度胸を続ける僧侶の視点で。
……


石井氏は時が経ち4月になってから遺体に関わった人たちに取材を行い、50人以上の方々から話を聞き、色んな人の視点から見た釜石市の現実を再現したのが本書である。


ルポの方向性としては、御巣鷹山の日航機墜落事故を題材にした飯塚訓「墜落遺体 御巣鷹山の日航機123便」に近い(執筆者の立場は異なる)(と紹介しつつ私はこの本は完読していない……)


11月に本書が出版され、石井光太氏は精力的に講演を行っている。そのうちのひとつに私は参加し、氏から現地の話や取材の苦労話を聞いた。想像をはるかに超える事態が起きた場所でこういう取材ができるというのも、石井氏の人格なんだろうな。

石井氏の執筆スタンスは「現実をありのままに表現する」ことにあるように思う。以前に読んだ石井氏の本では、世界中の貧困現場に入り込み(時には住み込み)、圧倒的な現実を伝えている。それが良いとか悪いとかではなく、現実を伝えている。

本書も同じで、今回のような未曾有の災害が起きた場合でも、遺体に向き合う人がいなければ遺体の処理は進まない。それが現実であり、そして今回の大震災では遺体と向き合う人がいた。


本書を読み終え、私は素直に感銘を受けた。


そして皮肉屋で現実主義者の私が言うのも何だが、真夏にこの大震災が起きていたら、凄まじい規模での二次災害(感染症)が発生したかもしれない。せめてもの救いは今回の震災が3月だったことなのだろう。そう思えるほど、本書はリアルである。


9点/10点満点


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2011/11/26

富坂聰「中国マネーの正体」感想。
中国分析。2011年11月04日読了。

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中国マネーの正体―日本に群がる!


私が今イチオシの中国ウォッチャー富坂聰の最新新書。なんでイチオシなのかというと、1964年生まれの著者は高校卒業後の1980年代初頭に北京大学に留学し(但し中退したらしい)、中国語が達者であり(但し中国人と喋るとネイティブではないことがばれるらしい)、在学中に築いた中国人人脈を元に、中国各地に情報網を持っているからである。年齢からいって、北京大学の同級生の一部は共産党や国営企業の幹部に登り詰めた人たちも居るのではないかと勝手に想像している。

そんな著者が今回書いた本は、中国人は羽振りが良い。羽振りが良いのだから、傍から見ているだけじゃなく、日本も調子を合わせてもっと儲けられるよ。みたいなテーマである。

とはいえ、まず序章で「中国は13億人が住む巨大市場」というのは間違いであると警告する。

第1章以降にこれに関する詳しい記述がなされているが、中国が人口13億人の超大国なのは間違いないが、桁外れの億万長者も大勢いるし、そこまでの大金は持っていないけど日本の富裕層並みの所得層もいるし、中間層も増えてきた。しかしやっぱり中国は貧富の差が激しく、(普通の先進国の基準に当てはめると)貧乏人が一番多い。中国は「13億人の市場」ではなく、中国のどの層に向けて商売をするのかきっちり決めておかず、13億人市場の幻想で商売を始めると、足下を掬われることになる。と警告している。


中国が「世界の工場」として機能していたのは、低賃金で働く工員が大勢確保できたからである。しかし昨今の中国では「人口ボーナス」が枯渇しつつある。「人口ボーナス」とは若者が大勢いて、働き手を捜すのに苦労しない状態(にある国家のこと)を指す。中国は一人っ子政策(1979年に開始された)により急激な少子高齢化を迎えている。一人っ子政策が始まってから生まれた世代が既に30才を超えているのだ。当然その年代の夫婦から生まれる子供も一人っ子である。(注:農村部には一人っ子政策は適用されていない)

「人口ボーナス」が枯れてきているにもかかわらず、世界中の企業がまだまだ中国に進出している。その結果、中国では工員の不足が生じ始めた。そして、日本のニュースでも報道された「賃金アップのストライキ」が中国各地で行われるようになり、中国は「世界の工場」としての地位を失いつつある。

繊維産業(アパレル)は機敏に反応し、縫製職人が多数いるバングラデシュにどんどん工場を移転していった。日本のアパレル会社がバングラデシュに工場移転を決めたのは最後発に等しく、バングラデシュの立地条件の良い場所は韓国企業や中国企業(ここ大事)に買われた後だった。

つまり、中国から逃げ出している企業に、中国の会社も含まれているのだ。


さらに中国は急速な発展に伴い、電力不足が深刻化しつつあるという。現在14ヶ所ある原子力発電所に加え、10年後には70基、2030年までに200基、2050年までに400基まで増やす計画があるという。

しかし10年後の話はどうでも良く、まさに今、電気が不足しているのである。電気がなければ工場は稼働できない。

原発ができるまで、火力発電や水力発電を増強しようとしているが、中国がばかすかエネルギーを消費するから、石炭やガスや石油は値上がりし、水力発電に使うダムは川の土砂や生活ゴミが堆積して使い物にならなくなる可能性がある。

著者によると、中国は石炭採掘の参入障壁が低いらしく、地下経済の連中がもぐりで勝手に採掘している炭鉱が無数にあり、国営の石炭会社が、もぐりの連中から石炭を仕入れているケースもある。


この他、中国人は「儲かる」ことを見つけたら、誰彼構わず、ノウハウがあろうと無かろうと、とにかく儲け話に参入する。その顕著な例が自動車産業で、中国の自動車需要は年間2000万台なのに、生産可能台数は4000万台分の自動車工場があるのだそうだ。(いまはどうだか知らないけど、一時期中国には400社の自動車メーカーがあったと言われている)

中にはボルボを買収した吉利(チーリー)集団みたいな優良企業に化ける会社も出てくるけど、それにしたって儲け話に群がりすぎだろう。


また中国政府は年金制度の導入を検討しているらしいが、普通の中国人は年金制度の実現なんか無理、と諦めの境地に至っている。そのため中国の金持ちは、(年金制度実現のためにしこたま税金を払えといわれる前に)如何にして中国から諸外国へ金を持ち逃げするか、その段取りをし始めているところだとか。


こういう話が盛りだくさんに展開される本書、なかなか面白く読めました。

といいつつ評価7点というのは、マクロとミクロの話がごっちゃになっているから。マクロ視点かミクロ視点か、もうちょっと統一感を出した方が、書籍としての完成度は高まると思うのです。(いや、今でも十分面白いんですけどね)


7点/10点満点

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中嶋猪久生「資源外交 連戦連敗―アザデガン油田の蹉跌」感想。
ルポ。2011年11月03日読了。

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資源外交 連戦連敗―アザデガン油田の蹉跌

2年前、世界一周旅行に出る前に買った本。当時、途中まで読んでいたのだが、酔っぱらって無くしてしまった。あちゃー、またやってしまったか、と自分の盆暗ぶりに嘆いていた。ところが、帰国して本棚を整理していたら読みかけの本書が見つかった。というわけで、改めて最初から読み直した。

◆著者紹介
中嶋猪久生・ナカジマイクオ
1947年三重県生まれ。一橋大学経済学部卒業後、東海銀行(現・三菱東京UFJ銀行)入行。外務省や証券会社への出向を経て、海外店(シンガポール、バハレーン)などに勤務。海外店勤務時代には、湾岸産油国の国営石油会社や中央銀行との取引に従事。元明治学院大学国際学部非常勤講師(エネルギー資源の政治経済学)。現在、石油問題の専門家として、『フォーサイト』(新潮社)などで執筆(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)


◆本書の内容
イランのアザデガン油田。1999年に発見されたこの油田は、1980年代以降に発見された油田の中で、推定埋蔵量田世界第2位の巨大油田である。

2000年、アラビア石油が所有していたサウジアラビアのカフジ油田の採掘権を消失した。(2003年にはクウェート側のカフジ油田の採掘権も消失した)

そんな時期、イランはアザデガン油田の開発を日本に任せたいと近寄ってきた。度重なる交渉の末、2004年2月に開発契約を締結した。

しかし、油田開発という巨額権益、イランという米国の敵が交渉相手、官僚が牛耳る日本国内の石油会社、それらの思惑が一致しなかったため、2006年10月にアザデガン油田開発から撤退することになった。

本書は、なぜ日本はカフジ油田の採掘権(権益)更新に失敗したのかなぜ、アザデガン油田開発に着手ながら撤退する羽目になったのかを、日本の石油開発の歴史解説とともに記した一冊である。


◆感想

日本(政官民協働)のエネルギー戦略の失敗を記した本なのであるが、実に生々しい。また、石油開発にかかる概略史を知るのにもってこいの内容である。

石油を筆頭にした資源やエネルギーの取引で何か問題が起これば、それは政府が出しゃばり外交解決するべきなのである。民間企業の自助努力だけで解決できる問題ではない。資源やエネルギーというのは、高度に政治問題化されるのである。


2004年2月にイラのアザデガン油田開発契約を締結した、と上記した。

これは著者に言わせると、イラ戦争の戦後処理で「イラクに自衛隊を派遣し(2004年1月)」「復興に50億ドルの拠出を表明した(2003年10月)」から、アメリカはしぶしぶ日本がイラのアザデガン油田開発することを認めたのである。


最終的にはアザデガン油田の開発から撤退した。その理由の一つとして、イランが大嫌いなアメリカ政府の影響を挙げている。

しかしそれだけではなかった。国内民間企業(と言う名の官僚統治会社)が一枚岩ではなかった。石油関連の上場会社2社、
国際石油開発帝石(Inpex)の筆頭株主は経済産業大臣
石油資源開発(Japex)の筆頭株主も経済産業大臣

あれ?

経済産業省出身のOBが経営する2つの会社による綱引き、もしくは啀み合いが原因のひとつであると、著者は本書で指摘している。(実際の経緯はもっと複雑ですので、詳しく知りたい方は本書をお読み下さい)


また著者は本書で、資源エネルギー政策が如何に重要なのか、その一例として「東シナ海ガス田問題」を挙げている。

「日本は、中国に「開発中のガス田の資料を提出して欲しい」と要請している。しかし、中国は応じようとしない。当たり前の話だ。石油やガスの埋蔵量は、最高レベルの国家機密で、それを相手に渡すことはぜったいにあり得ない。どこの産油国でも自国の埋蔵量を正式に公表したことはない。外国では、日本の政治家や当局者は何と脳天気なのだ、とせせら笑われているに違いない。」


本書はルポ・ドキュメンタリー系列の本としては、ちょっとだけ構成が甘い。理由は簡単で、著者は(雑誌での記事は書いているみたいだが)この本しか出版していないため、これだけのボリュームをまとめきれなかったのだと思う。

とはいえ資源エネルギーに関する資料的価値はかなり高く(そういう言う意味では中津孝司「アフリカ世界を読む」に傾向が似ている)、読んで損のない一冊であるし、これだけの情報を自力で調査しようとしたらどれだけの時間が必要なのかを考えると、価格(税込み1890円)にも納得がいく。


7点(ちょっと辛め)/10点満点


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2011/11/25

アクセスカウンター17万突破に感謝。

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トップに設置している忍者Toolsアクセスカウンターが17万を突破しました。
お読み下さっている皆様に感謝です。

2005年12月15日 ブログ始める
2006年11月23日 アクセス01万突破 (344日) 一日平均 29
2007年10月09日 アクセス02万突破 (321日) 一日平均 31
2008年06月21日 アクセス03万突破 (255日) 一日平均 39
2009年01月19日 アクセス04万突破 (212日) 一日平均 47
2009年05月28日 アクセス05万突破 (129日) 一日平均 77
2009年09月06日 アクセス06万突破 (101日) 一日平均 99→11月に世界一周開始
2010年01月06日 アクセス07万突破 (122日) 一日平均 82
2010年02月22日 アクセス08万突破 ( 47日) 一日平均212
2010年04月27日 アクセス09万突破 ( 65日) 一日平均154→5月末に世界一周終了
2010年07月01日 アクセス10万突破 ( 65日) 一日平均154
2010年09月02日 アクセス11万突破 ( 62日) 一日平均161
2010年11月21日 アクセス12万突破 ( 80日) 一日平均125
2011年02月01日 アクセス13万突破 ( 72日) 一日平均139
2011年04月26日 アクセス14万突破 ( 86日) 一日平均116
2011年07月08日 アクセス15万突破 ( 73日) 一日平均137
2011年09月07日 アクセス16万突破 ( 60日) 一日平均167
2011年11月25日 アクセス17万突破 ( 80日) 一日平均125


※当ブログは読書感想文がメインです。(旅行記もいっぱいありますけど……)

読書傾向がルポ本やドキュメンタリーや思想書中心になり、小説をすっかり読まなくなってしまいました。個人的には積ん読になっている大量の小説も消化したいのですが、ルポやドキュメンタリーや思想書の類は読むのに時間がかかり、なかなか小説の積ん読紹介に至りません。


そんな当ブログですが、今後ともご贔屓にどうぞ。

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2011/11/24

本川裕「統計データはおもしろい!」感想。
うんちく本。2011年10月30日読了。

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統計データはおもしろい!―相関図でわかる経済・文化・世相・社会情勢のウラ側


※フィリピン留学日記からいきなり読書感想文に変わってしまった、と思われる方がいらっしゃるかもしれませんが、当ブログは元々読書感想文が中心のブログです。

本書の著者・本川裕氏は「社会実情データ図録」というWebサイトを運営している。大学のレポートで世界の人口をいろいろ調べている際、氏のサイトに辿り着き、図の作り方やデータの分析方法などとても参考になった。

氏のサイトに最近掲載されたものでいえば「南アジアと東アジアの人口転換」「東日本大震災で確認された津波の高さ」などがある。個人的には「失敗国家ランキング」が興味深かった。

全てのデータは「分野別図録一覧表」に出ている。


大学のレポートだけではなく、一般社会に於けるプレゼン資料などについても、図を使った方が分かり易く説得力(欺瞞力)が増す。というわけで、統計データを図示化する参考になると思い、氏の書いた本書を買ってみた。


本書の内容そのものはうんちく本の領域なのだが、社会学的な分析がなされ且つ図示化されているので、ただ単なるうんちく本とは一線を画している。

個人的に面白いと思ったのは、出生率と社会保障の関係性を調べた「少子化は公的支出で防げるか」である(本書116-124ページ)。約20カ国の社会保障費と少子化対策費、それと合計特殊出生率を相関図化してみると、その図が示しているのは、社会保障の充実が少子化の原因になり得ることが図から読み取れる。(可能性があるだけの話なのです)


ほか、「日本の貧困度は高いのか」(143ページ)、各国の犯罪率の矛盾を読み取る「安全なのに"不安"な日本、治安が悪くても"平気"な国」(194ページ)などが私には興味深かった。

そこいらのうんちく本より興味深い話がたくさん載っているのし、図の作り方が参考になったので役に立った。


ただ、なんだ、ちぃと値段が高いぞ(税抜き1580円)。


6点/10点満点


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2011/11/23

石井光太「飢餓浄土」感想。
ノンフィクション。2011年10月28日読了。

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飢餓浄土


※フィリピン留学日記からいきなり読書感想文に変わってしまった、と思われる方がいらっしゃるかもしれませんが、当ブログは元々読書感想文が中心のブログです。


世界中を取材している石井光太が、世界各地で見聞きした不思議な話をまとめた本。

以下列挙。


第1章 残留日本兵の亡霊
・敗残兵の森
 フィリピン、ミンダナオ島に出る日本兵の話
・幽霊船
 インドネシア、ボルネオ島(カリマンタン島)に出る日本海軍幽霊船の話
・死ぬことのない兵士たち
 ミャンマー、シャン州にいた不死身の日本兵の話
・神隠し
 ミャンマーで神隠しにあった女性の話

第2章 性臭が放つ幻
・せんずり幻想
 ケニア、ナイロビのスラムの話
・ボルネオ島の嬰児
 マレーシア、コタキナバルにいた中国人売春婦親子の話
・あさき夢みし
 タイ、メーソットでHIVが広まっている原因に関する話
・胎児の寺
 インド、ベンガル地方の寺にいたときの話

第3章 棄てられし者の嘆き
・奇形児の谷
 ベトナム、カンボジア国境界隈の町のベトナム戦争影響の話
・横恋慕
 横恋慕に関する幾つかの国の話
・魔女の里
 タンザニアの魔女狩りの話
・けがれ
 穢れに関する幾つかの国の話
・物乞い万華鏡
 ネパールの乞食の話

第4章 戦地にたちこめる空言
・戦場のお守り
 お守りに関する幾つかの国の話
・餌
 ルワンダの犬の話
・歌う魚
 スリランカに伝わる話


個々のエピソードは一冊の本にするほどでもない。でもエピソード自体は面白い。そういう雑多なエピソードを集めたのが本書(と勝手に想像する)。

一冊の本としてまとまりに欠けるけど、でも個々のエピソードは強烈である。

当感想文は読後一ヶ月近く経ってから書いているが、各エピソードを改めて列挙し(上記)、どれもこれも強烈な印象を残している。表現は悪いが、石井光太らしい下世話な、もしくは野次馬的な話が満載なのである。これは貶し言葉ではなく寧ろ褒め言葉であり、下世話なネタをノンフィクションに昇華できる石井光太の文章力があってこその技なのだと思う。もひとつ言えば、そういうネタを拾う石井光太の好奇心が、もしくは石井光太の嗅覚が鋭いのだと思うのである。


とはいえ、やっぱり本としてはまとまりに欠けるので評点は若干辛め。


7点/10点満点


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アンナ・ポリトコフスカヤ「チェチェン やめられない戦争」感想。
チェチェン紛争ドキュメント。2011年10月25日読了。

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チェチェン やめられない戦争


※フィリピン留学日記からいきなり読書感想文に変わってしまった、と思われる方がいらっしゃるかもしれませんが、当ブログは元々読書感想文が中心のブログです。


2011年7月、福田ますみ「暗殺国家ロシア」を読んだ際、積ん読になっているチェチェン関連本を読まねば、と決意した。

チェチェンについてもっと深く知ろうの自己決意第1弾として、チェチェンルポと言えばこの人、アンナ・ポリトコフスカヤの代表作である本書「チェチェンやめられない戦争」を読んだ。

第1章は「戦時下のチェチェン」に於ける現場ルポ。これが現代の国家(ロシア軍)が行うことか!?と思えるような酷い事例=チェチェンの一般市民を無碍にするもしくは食い物にする=が多数書かれている。ただ、個々の事例に関連性が少ないため、まとまりのない印象を受ける(私がチェチェンの本を数冊読んでいるせいかもしれない)

第2章は「ロシアの現実」として、チェチェン紛争の背景を探っている。
第3章は「この戦争は誰にとって必要なのか?」として、2章と同様に背景を探っている。

第3章では、ノーベル平和賞受賞者のコフィ・アナン元国連事務総長のことを

(略)コフィ・アナンの直接の指導の下に働いている人たちが断言したのは、世界のどんなちっぽけなところで誰がどんなに苦しんでいようが、それがロシア連邦の領土内である限りアナンに取ってはどうでもいいことなのだ、ということだった。アナンにとって重要なのはほかのことだ。事務総長の椅子に二期目も居座るということ。 (中略) そのように「椅子が好きな」コフィ・アナンは、ロシアにとって都合が良いということに、誰も疑いを持たない。

と扱き下ろしている。


前後関係を説明すると、チェチェンで起こっている深刻な人権侵害に対し、この状況を打開できるのはコフィ・アナンだという結論に著者は辿り着いたが、コフィ・アナンはチェチェンの人権に関して全く無関心であったことからこのような表現に至った。

旧ユーゴ崩壊に伴うNATOのセルビア対応(NATOが悪者国家セルビアを空爆した-これはこれで私は疑問であるが)に比べると、チェチェンで起きている人権侵害への国連の対応は酷すぎる、と言うことを訴えている。


あとがきで、2002年のモスクワ劇場占拠テロ事件で、親子でミュージカルを見に行き子供だけ殺されてしまった母親がいる。テロリストに撃ち殺された人質は4人だが、この子供にも銃弾の後があった。5人目だった。だが公式発表ではテロリスト鎮圧のための催涙ガスによる窒息死扱いになっている。子供はテロリストに殺されたのか、救いに来た警察に誤殺されたのかわからない。母親は川に身投げをして自殺を試みたが、助けられて今も生きてる。でもこの母親には国から何の援助もない。それがロシアだ。と暗に訴えている。


本書は、チェチェン紛争の現場にいた者しか知り得ないであろう個々の(荒んだもしくは酷い)事例と、なぜそのようなことが起きてしまうったのかに関する考察からなっているが、テーマが絞りきれていない。著者アンナ・ポリトコフスカヤの「今すぐこのおぞましい真実を世の中に公表しなくてはならない」という意思だけで書かれたような印象を受ける。

結果的にこの本は注目を集め、世界中で翻訳された。この本の原著は2002年に出版されており、日本では2004年に翻訳された。私は2011年に読み終えた。


本の構成や、一読するだけだと偏った思想に思われかねない部分(国連は官僚機構でありそれを単に批判してもしょうがない)をさらけ出している点など、ドキュメンタリー・ルポ本として不十分に感じてしまう点は多々あるが、迫力は満点である。


なお、巻末に40ページ近くを費やして、ゲオルギー・デルルーギアン(ノースウエスタン大学社会学部助教授)の論考が載っているが、この論考は非常によくまとまっており内容も素晴らしい。本書は巻末論考を含めて評価すべき一冊と思う。


引き続き、チェチェン関連の本を粛々と消化していこうと決意するのである。


7点/10点満点


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2011/11/21

木村元彦「誇り ドラガン・ストイコビッチの軌跡」感想。
ノンフィクション。2011年10月20日読了。

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誇り―ドラガン・ストイコビッチの軌跡


※フィリピン留学日記からいきなり読書感想文に変わってしまった、と思われる方がいらっしゃるかもしれませんが、当ブログは元々読書感想文が中心のブログです。


「悪者見参」で私的10点満点を付けた木村元彦の「旧ユーゴ3部作」最初の作品。(残り一冊は「オシムの言葉」)

Jリーグでも活躍したユーゴスラビア代表選手でもあったサッカー選手ストイコビッチ(1965年生まれ)はセルビア人。

オシムがユーゴスラビア代表監督をしていた1990年に、イタリアで開催されたワールドカップにストイコビッチ初出場、ベスト8で敗れる。

サッカー選手としてピークを迎えているこの時期に、スロベニア、クロアチアが独立宣言(1991年6月)。直後にユーゴVSスロベニアの戦争(10日で終決→スロベニア独立)、ユーゴVSクロアチアの戦争(1995年まで続く)。

これを機に旧ユーゴ崩壊が発生。

1991年9月、マケドニアも独立宣言。
1991年12月、ドイツがスロベニアとクロアチアを承認、ECも承認。
1992年にはボスニアが独立宣言、ECとアメリカが承認、ボスニア戦争勃発。
1992年5月、ユーゴスラビア代表チームは国際試合禁止処分(制裁措置)を受ける。
1994年、パリ・マルセイユから名古屋グランパスに移籍。
1994年11月、代表チームの出場停止が一部解除。国際試合に復帰。

1998年、コソボ紛争が激化。ストイコビッチの母国セルビアは一方的に悪者され、NATOの空爆を受ける(1999年)。


かつて同じユーゴスラビア代表として国際舞台で戦ってたチームメイトは、クロアチアが独立するとクロアチア代表として敵となり、スロベニアが独立するとスロベニア代表として敵となる。

かつては仲間だったクロアチア代表VSセルビア代表のアウェー試合は、戦争の感情がもろに反映された異様な雰囲気の中で行われ、

制裁で国際試合禁止処分が下ったときは、ストイコビッチ立ち代表チームは空港で足止めをくらい、そのまま帰国を余儀なくされた。


政治とスポーツは別であるにもかかわらず、政治に翻弄されたセルビア代表サッカー選手ストイコビッチの半生を、見事なまでに書ききっている。


堅い国際政治の話と、華麗なプレーを披露するストイコビッチの活躍をミックスした本書は、本書の後に出版された「悪者見参」で更なる昇華を見せ、政治とスポーツの両方を見事に書ききった名作となった。


本書の単行本が上梓されたのは1998年で、私が読んだ文庫版は200年9月に出版されている(文庫版は年表やスペシャルインタビューなどが加筆されている)

その後ユーゴスラビアはセルビア・モンテネグロとなり、モンテネグロも2006年に文理独立、紛争が激化していたコソボも2008年に独立宣言を出している(国として承認しているのは80カ国くらい)。


本書も名著と言っていい作品である。


8点/10点満点


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フィリピン英語留学記・最終日:10月14日(金)~10月15日(土)

◆10月14日(金)

1時間目、Daisyのスモールグループレッスンが終わった。

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2時間目、Lynのマンツーマングラマーレッスンが終わった。とはいえLynはパソコンを盗まれたショックが尾を引いていたが。(警察に賄賂を渡してでも、犯人の指紋を採ってもらえとアドバイスしたが、フィリピン警察は賄賂くらいじゃなかなか動かないらしい)

3時間目はなし。

Final Exam の結果をもらいに事務局に行く。
・リスニング LB(Low Beginner)→MB(Middle Beginner)
・リーディング LB→MB
・ライティング LB→LB/MB
・スピーキング LB→MB
と、全てのスキルが伸びていた。リスニングに関しては顕著な伸びがあった。

ついでに入学時の Interview 動画と、Final Interview の動画を収録したCD-ROMももらった。入学時の英語はさぞかし恥ずかしいことだろう。CDドライブを持ってきていないので、帰国してから見よう。

ついでに明日の飛行機のeチケットを印刷してもらう。

4時間目、Mildのマンツーマン発音矯正も終わった。Mildは私に亀の置物をくれた。授業でコスタリカの漁師が嵐で6ヶ月も海に漂流していて亀を食って生きながらえた話があり、その際、私が日本人はスッポンという亀の一種を食うぞ、スッポンは強精剤として有名な高級料理だぞ、ということを教えたお礼だそうだ。まあMild(20歳)には臓器移植の話でマニラのモンテンルパ刑務所ではなかば公然と臓器売買が行われていた話や、海で遭難したら全ての船乗りは命を懸けて遭難者を救う義務があるんだよって話や、45歳のドキュメンタリー好きの私が知っていることをいろいろ教えてあげて、その都度「Really」と驚いていた。

昼飯。

Niveaのクラスで発表する資料を印刷するため(これは事務局から印刷を断られた)、近所のネットカフェに行く。ついでに学校(寮)からコンビにまでの道のりをカメラで撮ってみる。カメラが壊れているのでピンぼけです、すみません。


5時間目、Niveaのスモールグループレッスンが終わった。

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6時間目、Fernandoのマンツーマンレッスンも終わった。

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14:40、全ての授業が終わった。早かったなあ。あっという間だったなあ。平常授業は風邪で1回サボり、スペシャルレッスンは2回サボったけど、概ね平日は毎日8時間以上勉強していた。

フィリピン人教師の英語はアメリカ人の英語よりも聞き取りやすく(生徒のレベルに合わせているという理由もあるだろうが)、生きた英会話を浴びることができた。また教師毎に好んで使うフレーズがあり(例えばDaisyは「common」が好きだったし、Lynは「gotcha」が好きだったし、Niveaは「strict」が好きだった)、言葉というのは性格が出るんだなあ、と思った。


18:00からアヤラモールでフェアウェルパーティを開いてくれると言うことなんだけど、それまでヒマ。荷造りしたり、ラウンジに行ったり。

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みなさん、私の得意ポーズ「ウィッシュ改」を披露してくれました。


部屋に戻って荷造り終わる。カフェテリア側の喫煙スペースでタケモト奥様としばしお喋り。

18:00、アヤラへ出発。だけど今日は金曜なので、タワー前にタクシーが1台しか停まっていない。私とヨシ君とサビとミラがタクシーに乗り、残りのみんなはジプニーで来るとのこと。むむむ?金曜の夕方にジプニーってちょっと無謀では?

アヤラで待つこと30分、ジプニー組が到着。やっぱりジプニーに乗れず、歩いてきたとか。

で、フィリピン料理のお店でフェアウェルパーティ。感激です。デビッドさん(日)、カイト君(日)、ジェシー(韓)、クロエ(韓)、クリスタル(韓)、サビ(台)、ミラ(台)、ガーモン(韓)、ソンミ(韓)に、ヨシ君と私。

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料理を切り分けているのはガーモン(中国語がぺらぺらの韓国人)。

夜のアヤラモールはこんな感じ。カメラが壊れているのでピンぼけです、すみません。


20:30から、もっと大勢が集まってウィリアムズバーで2次会。マック(日)、ドラゴン(日)、シン君(日)(=つーかシン君も今日で卒業なんだが)、ビオラ(韓)、エイミー(韓)、カズさん(日)、タケモト奥様(日)、他多数が合流。エリカさんとナツキさんも来てたっけ?

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ウィリアムズバーの宴会も恙なく終了。この段階で22:30。

ヨシ君がケビン(韓)とクラブに行くというので、デビッドさん、ドラゴン君、カイト君、タケモト奥様と私も行くことに。行き先はPUMP1。行ったらケビンの他に、少なくともタイキ君とリョウ君とヒロキ君とアキラ君がいた。


0:40頃まで踊って、他のみんなは門限(金曜土曜の門限は1:00)があるから帰寮してもらって、私はデビッドさんとビキニバーへ。

セクシーだけど、いい女はさっさと持ち帰られている(ビキニバーってのはそういう所です)。


見物だけして2:00過ぎに帰寮。


ルームメイトのBON(韓)が起きていて、ちなみにBONは彼女と一緒に留学してきている釜山の学生で、彼女とはNiveaのクラスで一緒にお勉強をした間柄で、要するに二人とも知っている私は、けしかけるように「土日、一泊でどこか旅行に行くんだ!」と常日頃BONに進言していて、この日も「ダバオは良いところだったよ、飛行機代は往復で2400ペソで、ふかふかのベッドがあるホテルが1000ペソで、フィリピンのホテルは人数に関係なく一室料金だぞ」とか、「イロイロも良いところだったぞ、何より安全だ、セブシティより遙かに安全だ」とか、まあそういうことを酔っていることもあり散々吹き込んで、さらに別れの挨拶などをして、3:30に寝る。


◆10月15日(土)
7:00前に目覚めシャワーを浴び、寮のメシを食う(と言っても朝飯は毎日同じメニューで食パンかお粥しかないんだけど)。

8:20頃に、まだ寝ているBONを起こして「メシ食わないの?」と聞くと、「いやいい、それよりもいつ出発するんだ?」と聞いてくるから、「8:45に出るよ」と言うと、別れを惜しんでくれるようにまた30分ほど喋り、そして出発しようとすると、「荷物を持ってあげる」とBONが私のスーツケースを。

一緒に帰国するヨシ君とは7Fのエレベーター前で会ったんだけど、BONはエントランスまで付いてきてくれた。ありがとう、BON。

土曜の朝なので難なくタクシーをゲット。空港まで2人で260ペソ(確かメータープラス50ペソと言っていたような)。一人当たり130ペソ。

マクタン空港にもフリーWi-Fiがあるけど、ほとんどつながらない。ので、パスワードありWi-Fiを提供しているBO'S COFFEE CLUB でカフェラテを飲む。

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ヨシ君はフィリピン航空でマニラ経由成田。
私はZestAirwaysでマニラに行って、JALで成田。

縁があったらマニラか成田でまた会おうね、とヨシ君とお別れ。


ZestAirwaysマニラ行きは、フィリピンのLCCらしく、飛行開始時間より10分早く離陸し、10分早くマニラに到着した。マニラ空港の国内線ターミナルから、JALのある第1ターミナルまでは、クーポンタクシーで150ペソ。大した渋滞もなかったけど15分かかった。マニラの空港(ニノイアキノ国際空港)は噂通りどでかい。

第1ターミナルに入ると、警備員がタガログ語混じりの聞き取りづらい英語でグチャグチャ話しかけてきて、eチケット見せろとか、パスポート見せろとかうるさい。言われるままに見せていたら、何やら書類を書いている。何やってんだこいつ?と覗き込むと、出国カードを書いていた。

ああ、やられた。

出国カードを書いてやったんだからチップくれくれ攻撃。面倒だから20ペソ(40円弱)渡す。

うーん、ここまでフィリピンにはかなり良い印象を持っていたんだが、最後の最後に油断した。


とっと出国し、免税店でタバコを仕入れようとしたら。セブシティのコンビニで44ペソ(80円くらい)のマルボロが、免税店では10個で600ペソ。別の店では10個で16ドル。ドルのレートがぱっと思い浮かばなくて、600ペソの店で20個仕入れる。(注:タバコの持ち込みは10箱=200本までで、それ以上の持ち込みには、日本国の税関でたばこ税を支払う必要があります)

で、有料喫煙所に行ってビールガブガブ、タバコプカプカ。


14:20、JAL便離陸。


JAL機内では、日本のアニメ映画「RED LINE」を見る。

この映画、劇場で見たかったんだけど、うっかりしてたら3週で打ち切りになってしまってみられなかった映画。SWEP1とかチキチキマシン猛レースとかAKIRAとかマッハGOGOGO(スピードレーサー)とかナウシカとかルパンVSクローンとか銃夢とか色んな映画やマンガのオマージュだらけだったけど、すんげえ良かった(フリスビー役の浅野忠信を除く)。

で、JAL機内で日本国のビールを6缶ほど戴く。CAが呆れてた。


で、成田に到着。iPhoneがソフトバンクの電波を拾わない。なんでだ?

バスで柏まで。

日高屋でラーメン。日高や如きがこんなに旨く感じるとは。日高屋でiPhoneを使っている客に、ソフトバンクに何か障害でもあったのか?なんて聞いてみるけど、何もなし。

んー、困った。(理由は後でわかったけど、恥ずかしいから書かない)

電話を一切使えない状況のまま帰宅。


なんていうか、留学が終わっちゃったんだなあ。


充実感と寂しさを噛みしめつつ、一ヶ月ぶりのマイ布団で寝る。


この留学のことは一生忘れないと思う。ありがとう、みんな。


留学日記終わり。

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2011/11/19

フィリピン英語留学記4週目:10月10日(月)~10月13日(木)

フィリピン留学最終週。月日が経つのは早いなぁ。

◆10月10日(月)
70分×5レッスン+スペシャル50分=400分の授業

授業後理事長に呼び出され、ここまで3週間の電気代が560ペソで、卒業時(金曜)に支払う電気代は600~700ペソの間だろう、とのこと。

夕方のスペシャルレッスン、今週はスピーキングを受講。

スピーキングには間違いないんだけど、イメージしていたのとちょっと違い、スモールクラスのレッスンに近い内容だった。

22:00まで自習して、ウィリアムズバー。チップを渡しすぎたぶちゃいくなウェイトレスが妙に馴れ馴れしく、「あなた今週で帰国するの!私の夢はどうなるの!どうしてくれるの!」みたいなことを言ってくる。いやすまん、君の夢=ジャパニーズと結婚して日本で暮らす、ってことみたいだけど、俺その気ゼロだからね。

今週に金曜に卒業する私、学校の寮は土曜日中に出て行かなければならない。それが学校のルール。

元々の予定では、土曜日にマニラに行き、マニラで1泊以上楽しんで日曜に(気が向いたら適当に延長して)帰国と考えていたけど、イロイロ・セブシティ・ダバオと比べるとマニラの物価は高すぎるため、マニラ観光をやめることにした。

で、土曜日のマクタン島(セブ)→マニラの飛行機を調べたら1700ペソ(3000円くらい)もする。昨日の夜に調べたときは1400ペソ(2500円)だったのに、たった一日で300ペソも高くなっているとは。マクタン島→マニラは人気路線なんだなあ。(LCCの値段は時価なので、予約が埋まると値上がりします)

そんなこんなでダラダラとウィリアムズバーに居たけど、今週末で卒業だから、ワーニングペーパー(門限破り)貰ってもほとんど影響ないので、夜0:00頃まで飲む。


◆10月11日(火)
70分×5レッスン+スペシャル50分=400分の授業

2時限目のティーチャーLyn、なぜかやる気ゼロで、マンツーマンなのに15分も早く授業終了。おいおいおい。

昼過ぎからまた台風並みの大雨。

夜バッチメイトのエリカの誕生パーティをウィリアムズバーでやるということなので参加する。傘なんて持ってきていないから、歩いて5分のウィリアムズバーに行くだけでずぶ濡れ。


◆10月12日(水)
70分×5レッスン+スペシャル50分=400分の授業

2時限目のマンツーマンティーチャーLynが、授業中にやたらと携帯電話を気にしているので「何じゃコイツ、ええかげんにせんかい」と思いながら授業を受けていたら、同居している妹からのリアルタイムメールでLynの住宅に泥棒が入って、Lynが2年かけて貯めた金で買ったASUSのネットブックコンピュータが盗まれた!と大泣き。

「俺のことはいいから、警察に連絡しなよ」と言ったら、凄まじいスピードでメールを打ち始める。1秒で5文字くらい打ってるぞ。すげえ。とはいうものの、本当にパソコンが盗まれたらしく、Lynが大泣きして授業にならない。

「早退できないの?」と聞くと、「こんな程度のことでは理事長が許してくれない」とか。面倒すぎるので、授業を中断して私は退散。

こういうシチュエーションで、代わりがいないってところがフィリピンクオリティなんだな。

学校の掲示板に貼られている授業リストを見ると、4時限目にヤングビューティワイフ・タケモト(ググれば出てくる世界一周ブロガー)もLynのクラス。

なので、休み時間タケモトに「Lyn、パソコン盗まれて授業にならないくらい落ち込んでるよ」と伝え、明日以降のために情報交換することに。

20:30-23:30までウィリアムズバーで飲む。ぶちゃいくなウェイトレスは相変わらずしつこい。


◆10月13日(木)
70分×5レッスン=350分の授業。スペシャルレッスンはサボる。

タケモトからLynの情報を聞くと、昨日のタケモトの授業は全く授業にならず、5分で授業を中断したとか。

で、Lynは本日もダメ。泣いてばかり。

まあ、パソコンそのものよりデータがなくなったときの哀しみは理解できるので(私は外付けHDDのデータが全部すっ飛んだ経験あり)、諦めて授業を途中で打ち切ろうとしたら、「昨日、授業を投げ出すようなことをして理事長に怒られたので、授業は最後まで続けるわ」とか言って授業を続けようとするけど、いやそれ授業じゃなくてLynの愚痴を聞くだけなんですけど。Lynの立場もわかるけどね。


夕方、同じ日程でマニラに飛ぶヨシ君(バッチメイトかつ私と同じ4週留学生)とラウンジで飛行機の話をしていたら、バッチメイトのナツキ様が「明日パーティするから」と言ってきて、思わず「俺も?」と言ったら、「当たり前でしょ、フェアウェルパーティよ」とのこと。それは嬉しいです。


今宵は夕方からカズさん(60代のバッチメイト)とメシ。

セブ在住の留学コーディネーター(私とカズさんは同じコーディネーターを使っていたのだ)も呼び、穴場的フィリピン現地メシを食す。

ウマウマ。
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カズさんにおごってもらいました。ありがとうございました!


で、その後ウィリアムズバーで一人でビールガブガブ。

そのウィリアムズバーでは、自称16歳のアルコール中毒日本人少年が大騒ぎしていて、ウィリアムズバーに来ている白人客に拙い英語で話しかけて、しまいにゃ自分で強引に白人客のテーブルに行き「Join us!」って。いやそれは誘う側が言う言葉で、誘って欲しい側が言う言葉じゃないよ。

と思いつつ眺めていたら、さすが自称16歳、10分も会話のネタが続かない。静まりかえった白人客と自称16歳のテーブルを横目で見つつ帰寮。

この自称16歳、私が学んでいる「LIFECEBU」じゃ見ない顔なんだよな、どこの学生なんだろう。

ま、私は明後日帰国するからどうでもいいんだけど。


続く。

※次回でフィリピン留学記は終わり。

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2011/11/18

下川裕治「鈍行列車のアジア旅」感想。
紀行文。2011年10月09日読了。

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鈍行列車のアジア旅

フィリピンには何冊か日本語の本を持っていったが、読んだのはこの本だけ。主に飛行機の中で読み、ダバオ→マクタンの飛行機の中で読み終わった。


◆内容(紀伊國屋Bookwebより)
第1章 マレー鉄道―バンコクからシンガポールへ
第2章 ベトナム―ホーチミンシティからハノイへ
第3章 台湾―台湾一周
第4章 韓国―釜山からソウルへ
第5章 中国―北京から上海へ
第6章 フィリピン―マニラからビニャンへ
第7章 中国東北部―大連から長春へ


◆感想
1990年、「12万円で世界を歩く」を上梓し、世間をあっと言わせた1954年生まれの下川裕治。氏は以降、貧乏旅行ライターとなり、貧乏旅行を楽しんでいる本を多数出版している。

本書はタイトルのまま、鈍行列車でアジアを旅する紀行エッセイである。

世界中どこに行っても、街から街への移動はバスが中心になっていて、列車での移動自体が珍しくなっているこのご時世に(鉄道網が発展しているのって日本とヨーロッパくらいじゃないのかなあ)、敢えて鈍行列車で旅をするという企画本である。

元は朝日新聞社のWebサイトに2010年3月から12月まで連載されていた記事に、加筆と写真を追加した文庫書き下ろし本。

本書は、鈍行列車でアジアを旅し、旅先で起こる出来事や苦労話を発生した順番に書いていている。多少の下調べはしたけど、実のところ細かな計画無しの行き当たりばったりの旅っぽく感じる。とはいえ、これは下川裕治の典型的な作風でもある。

わざわざ鈍行列車で旅するなんて苦労しただろうなあ、と思いながら読んでいると、本文中に「時刻表の文字は小さい、五十代も半ばにさしかかり…」とか言いながらも、けっきょく貧乏旅行を楽しんでいる著者がいる。そして、悪戦苦闘しながら貧乏旅行をしている著者のことを、読者である私は時にクスっと笑いながら、時にバカだなあと思いながら、でも五十代になってもこういう旅ができるのは良いなあと思いながら読むんでいる。


で、個人的には、今まで読んだ下川本の中で一番面白かった。


著者が辿った7つのルートのうち、私は台湾鐵道の一部分、たった2時間しか乗ったことがないけど、でも鉄道旅ってワクワクするんだよね。私が鉄道好きだからだろうけど。だから面白く感じたのかもしれない。


8点/10点満点


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2011/11/17

10月8日(土)~9日(日) ミンダナオ島ダバオ 1泊2日旅行記(後編)

泊まったホテルは1000ペソ(1900円くらい)だけど、清潔でふかふかしたベッド。エアコンがなくてちょうど良いくらいの暑さ。ダバオの夜は快適な睡眠ができた。

◆10月9日(土)

ホテル代1000ペソは朝食込み。朝っぱらからチキンの揚げ物(揚げたてで口の中が火傷した)と塩目玉焼きとマンゴージュース。

10:00にチェックアウト。ダバオはドリアンの名産地で、ドリアンそのものは臭いが強烈で好き嫌いが分かれるけど、ドリアンキャンディーなら臭いが抑えられていてお土産にベター。とティーチャーLynが言っていたので、それを買うためにSMショッピングモールに行く。もちろんジプニー(8ペソ)で。



大きな地図で見る


ダバオのショッピングモールも、セブシティのアヤラに負けず劣らずのメガモールだった。

1時間ウィンドウショッピングを楽しんで、自分用のお土産としてTシャツを買う。私好みのTシャツが多数あって選ぶのに一苦労。買ったTシャツは250ペソ(450円くらい)なんだけど、Tシャツ1枚に250ペソは高いなあ、セブシティのコロン通りで買ったら50ペソくらいだぜ。と、気づいたらフィリピンの物価で物事を考えるようになっている。これは日本に戻ったら何も買えなくなるぞ、とちょっと恐くなってしまった。

KFCで昼飯食って、ジプニーで街中まで戻って、地球の歩き方に「一日ゆっくり楽しめる」と紹介されていたクロコダイルパークに行った。



大きな地図で見る


13:00到着。入り口はこんな感じ。

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ワニがいる(当たり前だ)
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フェレットみたいなのもいる
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大きな鳥もいる
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鳥は百種類くらいいる。亀もいる。虎もいる。

1時間で飽きた。

いったんクロコダイルパークを出て、周囲をうろうろ。
川沿いにレストランがあったのでビール。


まったりした後、再びクロコダイルパーク内へ。
なんつーの、隅から隅まで見てしまって、やっぱり飽きた。

クロコダイルパークは園内完全禁煙。
こんどはパークに隣接するフリーWi-Fiカフェでビール。
Wi-Fiは調子よかったり全くつながらなかったり。


16:00からショー。ちょっと早めに中に入って陣取り。

まずはイーグル(鷲)の餌キャッチショー(写真なし)


続いてオランウータンがショーに駆り出されている

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食い入るように見つめる客。

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大きなワニが暴れるショー。


ワニにニワトリを与える餌ショー。


この後、ワニだらけの池の上を綱渡りするショーなど。


おなかいっぱい。そろそろ空港に向かおうかな、とパークを出ると、ワニ丸焼き中(焼き上がったら食えるらしい)

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17:00過ぎにタクシーで空港に向かう。
空港でも時間があったので、またビール。

18:50離陸、19:40着陸。マクタン空港の黄色いタクシーに乗る。黄色いタクシーは割高だけど、行き先がわかっているとクーポンタクシーより安い。寮まで戻ろうかなあ、と思ったけど面倒だからそのままウィリアムズバーに行って、更にビール。

本日1日でビール8本。飲み過ぎ。

しかしまあ私はいったい何しにダバオに行ったんだろう?
酒を飲んでただけのような。

まあいいや。

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2011/11/16

10月8日(土)~9日(日) ミンダナオ島ダバオ 1泊2日旅行記(中編)

※カメラが壊れた。液晶に何も表示されなくなってしまった。叩けばときどき液晶復活するけど、ほぼNG。でも写真は撮れる。ので、これ以降の写真はピンぼけが多いです、すみません。


ダバオ空港では、タクシーの客引きが「チャイナタウンまでなら500ペソだよー」と売り込みに来る。

地球の歩き方には、「トライシクルでメインロードに出て、そこでタクシーを拾えば150ペソ」と出ていたので、500ペソはぼってるなー。

で、「500ペソ~」と売り込みに来ていたタクシーの運ちゃんにその旨伝えると、「なんだい、乗らないのか。トライシクルならあれだよ」とトライシクル乗り場(正確にはハイウェイと空港を往復するジプニー/10ペソ)を教えてくれた。

なんて親切なんだフィリピン人。

ちなみに、ダバオ空港の北に位置するハイウェイは、フィリピン日本友好ハイウェイと言うらしい。日本のODAで造られた道路なんだとか。

で、前日の夜に予約した Tinhat Boutique Hotel & Restaurant ↓というホテルに到着。タクシー代は180ペソ。

booking.comのホテル価格は1泊800ペソだったけど、税金が加算されて1000ペソだった。室内はかなり綺麗で、Wi-Fiも快適。


より大きな地図で Tinhat Boutique Hotel & Restaurant を表示


部屋まで案内してくれたお姉ちゃんに「タバコ吸えるの?」と聞いたら、「ハハハ、ダバオのホテルはタバコを吸っちゃダメなんだよ、この看板見てみて」と室内に掲示している看板を指さす。

そこにはダバオ市が作ったと思われる「ホテル内禁煙、室内での喫煙が見つかった場合は罰金10,000ペソだかんね、協力よろしく!」みたいなことが書かれていた。


時間はまだ11:30。さっそくダバオ散歩開始。

街の全貌を掴むため、目印となり得る大きな建物=マルコポールホテルに行き、ここを起点に行動することにした。

チャイナタウンの入り口。

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うろうろしていたら猛烈に腹が減ってきた。ので、チャイナタウンのパン屋さんでパン2個とコーラ。パンが1個3ペソ、コーラが7ペソ。合計13ペソ(25円くらい)。安いけど、味はまあまあ。

フィリピンで地道に地元民相手に5円、10円でパンを売って暮らしている中国人。中国人のフロンティア精神って、やっぱりすごいな。


前夜のカラオケ寝不足と、蒸し暑く歩き疲れたので、いったんホテルに戻ってシャワー。ところがこのシャワー、お湯の温度が熱すぎて、温度調整つまみを最低にしてようやくちょうど良いくらい。シャワーの圧力も申し分なし。うーん、意外と良いホテルなのかもしれない。完全禁煙なのを除けば。仮眠。


夕方になって、ホテル併設のレストランで酒でも飲もうかと思ったら、「このホテルはイスラム系のホテルなの。だからお酒は置いていないわ。買ってきて室内で飲むのは構わないけど。買うなら歩いてすぐそこのストアで売っているわよ」


まあいいや。散歩再開。サン・ペドロ・カテドラルという教会に行く。


教会の向かい側はシティホール。

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この界隈(サンペドロ通り周辺)が一番賑わっているとの情報を得たので、この辺りをぶらつく。

適当に歩いていたら、ワンピースのルフィとサンジゾロをペイントしたトライシクル発見。

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2時間くらいぶらついてちょっと疲れた。こういうときはやっぱりビール!
ワンピーストライシクルの界隈でPATIO BAR というバーを発見。店員が開店準備中みたいな状態だったけど、「営業中だよ、今の時間はハッピーアワーだよ」でサンミゲルライトが1本25ペソ(50円弱)。うひょー。ビールガブガブ。ついでにおつまみでエビシューマイを頼んだ(イマイチだったが)。


店内の雰囲気


店の位置はたぶんこの辺り


より大きな地図で Some Place Else Shisha Bar & Restaurant を表示


やっぱり汗がだらだら出ているので、ホテルに戻ってシャワー!

と思ったら、客が混んできたのか、シャワーの水圧が全然使い物にならないくらい弱い。水圧が弱いが故、湯温が激熱。こりゃあ参った。

更にWi-Fiも全然つながらなくなった。これも参った。


晩飯を食うため再び街へ。あちこちうろつき回ったら、ポン引きがやたらと出てきてピンク系のバーに誘おうとする。危険は感じなかったけど、ポン引きしつこい。

うろうろしていたら道に迷った。細い路地に入り込んだり、街頭のない地区に入り込んだり。気づけば21:30だ。

大回りして大通りまで出て、もう面倒になったからホテルのレストランでメシ食って寝る。


続く。


※本当にダバオのホテルが全部禁煙なのかどうかはわかりません。ただ、ダバオ市がタバコにうるさい街ってのは本当です。

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10月8日(土)~9日(日) ミンダナオ島ダバオ 1泊2日旅行記(前編)

今回はだらだらとした内容です。


9:15マクタン空港発のAirPhilExpressを取った。木曜の朝に外泊届けを出しておいたから、1泊2日は無問題なのだ。

ちなみにパスポートは学校に預けてある(代わりに学校から公式身分証明書として通用する学生証を受け取っている)

◆10月8日(土)

前日カラオケに行ってしまって、夜中の1:00過ぎまでホテル検索していたから眠りが浅い。と言っても9:15発の飛行機だし、マクタン空港まで運が悪い(渋滞)と1時間以上かかるので、7:00に寮を出発。

雨はそれほど降っていないけど、空はどんよりとした曇り。風はやや強し。

学校はセブ・シティのアッパータウン(治安の良いところ)、Winland Towers というフィリピンの富裕層向けマンションに中にあり、タワーの出入り口には銃を装備した警備員が24時間常駐しており、タワー前にはタクシーが並んでいる。

で、朝7:00にタワー前のタクシーに乗り「空港まで」というと、「250ペソ」と言ってきた。マクタン空港は流しのタクシーの乗り入れが禁じられているので、メーター料金では行ってくれない。帰りのガソリン代くらい上乗せしてくれ、と言うことなのである。で、250ペソならそれほどぼってないと感じたので即OK。実際空港に着いときメーター見たら205ペソだったので、ぼっていると言うほどの金額ではなかった。翌週帰国するので、この値段は参考になる。

土曜の朝のセブ・シティは道がすいていて、7:40頃に空港到着。

パスポートなし。学校の身分証明書だけ。
eチケットはPDFのみ(iPhoneのgmailに飛ばした)。

iPhone のPDFを見せて空港に入ろうとしたら。

「紙に印刷したeチケットがないとダメ」と警備員のおばちゃんに拒絶される。

むー。それは困った。

困ったことは困ったのだが、こういう客を相手にするプリントアウトサービスが必ずあると思って探したら、すぐに見つかる。まあ要するにプリンタのあるネットカフェだ。フィリピン人は日本人より老けて見えることをさっ引いて見ても60歳は超えている婆さんが店員(店長?)をやっている店で、でもこの婆さんがなかなかコンピュータに詳しくて、で、プリンタは一台しかなくてプリンタがつながっているパソコンも一台しかなくて、その貴重な一台をフィリピン人女性2人組が占有していて私ゃずっと待っていたんだけど、なかなか終わらなくてクソイライラしていたら、やり手婆さんが「ジャパニーズがプリントアウトしたいって言ってるから変わってくれ」と助け船を出してくれて、ようやくネット経由でPDFを読み込んで印刷。読み込み→印刷まで3分しか使っていないのに、ネット利用30分料金25ペソに印刷代金25ペソ合計50ペソ(95円くらい)取られた。くそおおおぅ。


とか何とかやっても、まだ8:00。サクサクと空港に入りチェックイン。

空港の入り口も、AirPhilExpress のチェックインカウンターも、学校の身分証明書を見せたらOK。パスポートは要りませんでした。


で、朝飯食っていないので、中華系の店でまんじゅう35ペソを食う。腹減ってたからまんじゅうの中身を確認しないで買ったんだけど、ゆで卵入りの肉まんでした。純日本人の私には斬新な味。同じ店で買ったゲータレードは55ペソ。手の込んだまんじゅうより単なるスポーツジュースの方が倍近く値段が高いと言うことに、何というか矛盾を感じるので御座る。

で、空港のフライトインフォメーションとボーディングパスに書かれているゲートが違うので、台風の影響かなーとか不安になりつつ、でもAirPhilExpressの係員に聞くとボーディングパスが正解だから気にすんな的な回答があり、とはいえ台風だぜホントに飛行機飛ぶのかなあ、とやっぱりかなり不安になりつつも有料喫煙ラウンジでタバコを吸い、搭乗開始時間(8:45)の10分前にゲートに向かうものの、ゲートはマニラ行きの案内しか出ていないし、ますます不安が増す。

けど8:35くらいに、マニラから来たであろうZestAirwaysの飛行機から客がぞろぞろ降りてきて、間髪入れずにZestAirwaysのマニラ行きの搭乗が開始され、

8:50に私が乗るダバオ行きの搭乗が開始になり、

結果的には定刻出発。

んー。フィリピンのLCCってむちゃくちゃ段取りいいじゃん。

その代わりに整備時間とかが犠牲になっているのかもしれないけどさ。


で、↓これがダバオです。


より大きな地図で ダバオ国際空港 を表示


ダバオ空港へは、定刻10:15着だったけど、それよりちょっと早く到着しました。

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これは到着ロビーに向かう通路。

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で、空港に着いたので観光案内所! と思ったけど誰もいない。置いてあったシティマップや観光案内(英語)を勝手に持ってきて、

空港の外に出たら、快晴!
30度くらいありそう。湿度高い。蒸し暑い。紫外線が強い。焼ける。


ダバオは禁煙エリアを厳格に適用している都市らしく(地球の歩き方で読んだような気がするけど、違うかもしれない)、空港の建物を出てすぐタバコを吸おうとしたら、ダバオ空港で働いている人たちや客引きやその他もろもろ10人くらいから「ヘイ、ジャパニーズ、ここは禁煙だぜ!」と総ツッコミ。

「そぅなのぉ? じゃあ喫煙所はどこ?」
「駐車場だ」……目の前じゃん
「って、横断歩道を渡ればいいってこと?」
「そうだ」

英語でのやりとり

Hey Japanese! Here is no-smoking!
Why? Here is outside.
All Davao's Public spaces doesn't smoking. Here is so. It's strict rule.
Really? Where is smoking areas?
Parking!
Is there.... Over there?
Yes

この後しばし喫煙について質問すると、どうやらダバオでは「屋根の下でタバコを吸ってはいけない」がルールっぽい。

何だかなあ。


続く。


※だらだら書いて長くなってしまったので、この話は前中後編の3回に分けてお送りします。

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2011/11/14

リクナビ。

留学中に知り合った大学生が言っていた言葉

「リクナビって、クソむかつく」
「リクナビがあるから就活しなきゃならない」
「リクナビなんて見たくもない」


この大学生の意見が全てとは言わないけど、この大学生は、短期間ながらもリーダーシップを発揮し、かなりの切れ者だった。

今の大学生が日本社会の中心になる頃、簡単に言うと15年から20年後、リクルートは生き残れるのかな?

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フィリピン英語留学記3週目:10月1日(土)~10月7日(金)

9月24日(土)のビーチトリップは、ビーチ側の桟橋不手際で十分楽しめなかった。そのことのお詫びとして、ビーチ運営者から無料で一回ご招待という話があった。仕切り屋ジェシー(韓国人女性)から「行く?」と誘われたが、たった1ヶ月の滞在なのに同じビーチに2回行ってもしょうがないから、私は辞退した。

9月29日(木)の昼間、今週末は金曜の夜から2泊3日でダバオに行こう!と思っていて、タイキ君(大学生)にその話をしたら「外泊届け出しました?2日前までに出さないとダメっすよ」と指摘され、それを知らなかった私は今週末のダバオ行きを諦めたのでした。


◆10月1日(土)
前日ヨシ君とウィリアムズで飲んだ酒が残っていて、明らかな二日酔い。10:00起床。朝飯(7:30-8:30)食いそびれる。

ので、近所のマクドナルドに行ってチーズバーガーを頼んだら、「今の時間は朝食メニューしかできないわ」とのお言葉。
「じゃあビッグマックは?」「それも作れないわ」
「何があるの?」「パンケーキね」。
マクドナルドで食べたパンケーキは旨くもない代物でした。

明日の日曜、セブ・シティの反対側の町モアルボアル↓に行こうかな(本当は1泊2日で今朝から行こうと思っていたけど、寝坊した)、


より大きな地図で Moalboal を表示

と思い、コロン通りにあるバスターミナル↓の下見に行く。


より大きな地図で セブ・プロビンシャル・サウス・バス・ターミナル を表示


バスターミナル界隈は小便の匂いが立ちこめており、利用者層は(フィリピン第2の大都市である)セブ・シティへの通勤通学、出稼ぎ民などが利用しているっぽい感じ。バスは窓開けっ放し(当然エアコン無し)が主流で、明確な出発時間は決まってなく満席になったら出発という、発展途上国にありがちな感じのバスだった。

小便の匂いがする界隈だったので、写真無し。

ついでに書くと、このバスターミナルにはチケット売り場がなく、バス会社がバス乗り場の目の前に小さなチケットカウンターを出していて、カウンターに手書きで行き先が書かれていて(値段は書いていない)、それを見て目的地に着くバスを探すのである。出発時間と値段は要交渉なのかもしれない。

セブ・シティからモアルボアルまでは片道3時間なので、小便の近い中年オヤジにはきついな、と感じたのであった。


その後、寮のガードマン・ハンビーと室内清掃担当のマイクが薦めるネットカフェを探しにLAHUG地区まで行くが、それらしきネットカフェが見当たらない。くそう。

その後、留学コーディネーター(セブ在住の日本人)が教えてくれた「まにら新聞社」セブ支社に行こうとするも、ジプニーでの行き方がわからなくて断念。(タクシーに乗れば行けるんだけど、タクシー代400円が惜しくて、15円のジプニーで行こうとしたのです)

前夜の反省(200ペソ札と1000ペソ札を間違った)から、この日は酒を飲まずに寝る。


◆10月2日(日)
やることねえなあ、と感じつつ朝飯。その際、日本人青年ドラゴン君が「今日何するんすか?」「外泊届けの出し忘れでモアルボアル一泊旅行が潰れちゃったんだよね、だから何にも予定ないよ」「じゃあ海行きましょ、先週行ったところ」「でも俺その話は断っちゃったよ」「なんか3人くらいキャンセルしてるんで、余裕で行けるみたいっすよ」「ホント、だったら行く!」

という経緯で海に行く。


↓TAMBURI Resort NARASUWAN ISLAND というプライベートビーチのエントランス

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今回は離れ小島に行かず、マクタン島周辺で遊ぶ。海はそれほど綺麗じゃない。
フィンを着けずに海に入ったら、海草に生えている棘がグサグサ足に刺さった。かなり痛い。

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このビーチのオーナーは韓国人で、昼飯はサムギョプサル。けっこう旨かった。ビールもけっこう飲んだ。(ちなみに以前のオーナーは日本人だったので、スタッフはちょっと日本語が喋れる)

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ちなみに海にはウニもいた。

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午前午後あわせて2時間以上シュノーケリングして、17:00までビーチで遊んでから帰寮。

外には飲みに行かず、夜2時間自習してから寝る。


◆10月3日(月)
今週末こそ2泊3日でダバオだ!

と思っていたら、2時間目の教師Lynから「あなたは来週で卒業よね、だったら今週の金曜日にFinal Examがあるのね、頑張ってね」

何それ、知りません、初めて聞きました。
学内の掲示板を見ると、「木曜日に夕方にFinal Interview、金曜日の18:30からFinal Examがあるので出席するように」と張り出されていましたの。

がちょーん。

70分×5レッスン+スペシャル50分=400分の授業

今週のスペシャル授業はデクテーション。アメリカの美術学校で紙粘土を使って何かを造る過程をデクテーション。なんというか、今まで生きてきて全く使ったことがないような言葉ばかり出てくる。役に立たねー&聞いたことない言葉のデクテーションなんて無理。

リスニング授業のデクテーションの方が役に立つがな。

2~3時間自習の後、ウィリアムズバーでダバオ行きの飛行機の値段を調べる。


◆10月4日(火)
70分×5レッスン+スペシャル50分=400分の授業

木曜日にFinal Interview、金曜日にFinal Examとの正式通知を貰う。

2~3時間自習の後、ウィリアムズバーでダバオ行きの飛行機を予約する。

土曜出発、日曜戻り。マクタン島(セブ)←→ダバオ往復 AirPhilExpressで2370ペソ(約4400円)


◆10月5日(水)
70分×5レッスン+スペシャル50分=400分の授業

2~3時間自習の後、ウィリアムズバーに飲みに行ったら満席で、タイキ君(大学生)、ユータ君(大学生)、リョウ君(元社会人)、ケビン(日本語が下手な韓国人)ら顔見知りと相席する。で、ちょっと飲み過ぎる。

就寝時にのどの痛みを感じる。


◆10月6日(木)
のどがめちゃくちゃ痛い。風邪をひいてしまった。

午前中70分×2レッスン=140分

昼飯。熱を測ったら37.8度。これはまずい。カイト君に風邪薬を貰って飲む(怪我したときの抗生物質とか湿布とか胃薬とか持ってきていたのに、常夏のセブなら風邪は引かないだろうと持ってこなかったのが裏目に出た)。

午後70分×2レッスン=140分。

ここまでは我慢したが、6時限目とスペシャルクラスは無理。休む。ここまで皆勤賞だったんだけどなあ。

夕方Final Interview(スピーキング能力のテスト)を受ける。チュニジアでベンアリ政権が倒れたのは、路上で作物を販売していた青年が警察に逮捕され、失意の青年は覚悟の焼身自殺を遂げたことに端を発し、それが連鎖してエジプトのムバラク政権も倒れた、というようなことを話した。

自習もせず酒も飲まず、ひたすら寝る。


◆10月7日(金)
ひたすら寝ていたので、36.8度まで下がる。のどの痛みは少し残っているが、概ね治ったと言えよう。油断大敵だが。

50分×5レッスン=250分の授業。(金曜はスペシャルなし)

Final Exam(18:30-19:30)までヒマだなあ、と喫煙所でタバコを吸っていたら、凄まじい嵐になってきた。ガードマンの兄ちゃんとかに聞いたら、「今日は台風が来ているんだよ、今晩はもっと酷くなるらしいよ」だってさ。

自習するでもなく、学内をうろうろ。そしてFinal Exam。

9月19日(月)に受けたレベルチェック試験と同じ形式で、リスニング40問、ライティング30問(ここまではミニTOEIC)、300ワード以上の作文(テーマはジェネレーションギャップ)

リスニングは明らかに向上しました。問題が理解できるのですよ。

でも作文は130ワードくらいしか書けず、文法も語彙も貧弱だからダメダメなのが自分でも丸わかり。


試験終了後、嵐が収まってきた感じなので、マック君、ドラゴン君、シン君、ヨシ君、カイト君とカラオケに行く(全員バッチメイトで全員20代)。正確に言うと、「ヒマだから混ぜて~」と言って連れてってもらった。

カラオケ屋には日本語の歌も1000曲以上取りそろえております。英語の歌が一番多いんだけど、中国語の歌も韓国語の歌もありました。なぜか櫻井孝宏さん(その昔お世話になりました)の歌も入っていました。

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2時間歌った後、撤収。外は昼より凄まじい嵐。みんなはクラブへ踊りに行った。私は病み上がりなので撤収。ここで飲んだビールは一本だけ。健康的だ。それにしても昨日まで風邪引いていたはずなのに、何をやっているんだか。


明日からダバオ1泊2日。ダバオのあるミンダナオ島は、セブ島よりも台風の影響を受けるので、最悪、現地で全く遊べない可能性=宿探しなんてできない可能性を考慮し、夜中にbooking.comでダバオのホテルを予約。800ペソ。


続く。次回はダバオ観光記。

※留学中に書いた日記を元に本ブログを書いていますが、Final Interview って風邪引いてへろへろだった木曜にやったっけ?と自分の日記内容に疑問を抱いたり。

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フィリピン英語留学記2週目:9月24日(土)~9月30日(金)

◆9月24日(土)

バッチメイトの皆さんとセブのビーチに行く。マクタン島のプライベートビーチということ以外、詳しい情報は知らず。手配したのは韓国人のジェシー。総勢20名で、うち16人が20代。

朝8:00に集合したものの、2台来るはずの送迎車うち1台がエンジントラブルで出発が遅れ、私は先行組として8:50出発。学校のあるセブシティからマクタン島まで車で1時間近くかかる。私は9:50にビーチ到着。後発組が来たのは10:30。この時点で計画より90分遅れ。

11:00にビーチからボートに乗り、プライベートビーチのある小島まで移動。20分くらいで着くのかと思っていたら、1時間もかかりました。

前日、ビールやお菓子の持ち込み可、と聞いていたので、しこたまビールを買ってきたのだけれども、プライベートビーチ内は持ち込み不可とか。

プライベートビーチ内のレストランでメシを食った後シュノーケリング。岩に擦れてけっこう血まみれ。

13:30、さあ、マクタン島のビーチに戻るぞ!

と桟橋で並んで待っていたけど、この日は波が荒くて小島の桟橋に船が接岸できない状態。桟橋で2時間待ってようやくビーチに戻るボートに乗る。ボートでしこたま買い込んだビールを一人ガブガブ。で、マクタン島のビーチに戻ったのは17:00頃。

結局ビーチでビールを飲むこと無く、帰寮。

後から聞いたら、ビーチの位置はここ↓っぽい。


より大きな地図で Tambuli Beach Club を表示

マクドナルドで晩飯を食ったあと、ウィリアムズバーに行ったら座る場所がないくらい混んでいたので、すごすごと引き返す。

自習せずに寝る。


◆9月25日(日)

朝早く目が覚めたけどやることがない。9:00、ジプニーに乗ってコロン通りに行ってみる。コロン通りっぽいところでジプニーを降りたが、よくわからない場所だったので適当にうろうろする。

Heritage Of CEBU とかいうモニュメントがあった。

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モニュメント本体。完成度が高い彫像である(いつ造られた代物かわからないけど)
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さてどうしようかな、と地図(セブに住む日本人が発行しているフリーペーパーに載っていた)を見ながらうろうろしていると、メトロガイサノというショッピングモール↓を発見、ロビンソンで売っていなかったコップとかを買う。


より大きな地図で Metro Gaisano Colon を表示


で、更にうろうろして、独立広場を抜けサンペドロ要塞(Fort San Pedro)という名所に辿り着いた。

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より大きな地図で Casa Gorordo Museum を表示


次の土日は船に乗ってどこかに行こうかな、なんて考えていたので、下見を兼ねて埠頭へ行く(歩いて)。埠頭そのものは何ともないけど、埠頭の回りにはスラム街っぽい住宅がいっぱいあった。小便臭かったから勝手にスラムと決めつけただけなので、本当にスラムかどうかはわからないけど、LIFECEBU(学校)の教師が「あの辺りは私は絶対に近づかない」とか言っていたので、あんまりいい場所じゃないんだろう。

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MinutesBurger で格安ハンバーガー食って、ジプニーでSMショッピングモールに行って、またジプニーに乗ってITパークに行って、歩いてアヤラショッピングモールに行って買い物していたらバッチメイトのトム君(ベトナム人)とばったり出会って一緒にコーヒー飲んで帰りました。

アヤラのコーヒーショップ(Sunkissed Beans Coffee)で頼んだフラペチーノみたいなの、160ペソ(アバウト310円)もしやがりました。これってウィリアムズバーでビール2本飲めるぜ、もしくはBBQ屋台だったら1リットルビール+串焼き5本頼んでおつりが来るぜ、って値段でしたのよ。

帰寮して2時間ほど自習した後、ウィリアムズバーでビールのみながらブログ書き書き。

新しいルームメイトが来ないなあ、とか思っていたら、夜の2時過ぎに突然やってきた。


◆9月26日(月)
70分×5レッスン+スペシャル50分=400分の授業

今週からスペシャルレッスンのリスニングを受講。晩飯後に50分。リスニングなんだけど、内容的にはアメリカンイングリッシュとブリティッシュイングリッシュの違いを聞き分けるデクテーションだった。

自習したのち、酒飲まずに寝る。


◆9月27日(火)
70分×5レッスン+スペシャル50分=400分の授業。

ルームメイトのボン君(韓国人大学生で彼女と一緒に留学)はいびきがすごい。

自習した後、ウィリアムズバーでパソコンやりつつ飲み。


◆9月28日(水)
70分×5レッスン+スペシャル50分=400分の授業。

午前に2レッスン。
昼飯食って、
午後に3レッスン。
この段階で自習室の座席を確保して、
スペシャルレッスン。
その後すぐに自習室にこもって2時間自習。
そしてウィリアムズバーでWi-Fiしつつの酒。

という勉強スタイルが確立しつつ。


◆9月29日(木)
70分×5レッスン+スペシャル50分=400分の授業。
自習2時間。
ウィリアムズバー。


◆9月30日(金)
50分×5レッスン=250分の授業。(金曜はスペシャルなし)
ややヒマである。
週末なので勉強する気にならないが、自習2時間。

たまたまラウンジにいたヨシ君を誘ってウィリアムズバー。

バブルを知っている元サラリーマンの中年オヤジである私は、毎日のようにウィリアムズバーに来ては会計の際、釣り銭の小銭(10ペソとか)を「Keep the change (お釣りはチップだ)」と言って渡していて、この日も同じように「Keep the change」と言ったら、ウェイトレスが「Really」を何度も繰り返すから、「OK, No Problem」と言うと、ヨシ君から「今1000ペソ札出しませんでした?」と指摘され、「えっ!」となったんだけど後の祭り。200ペソ札と1000ペソ札を間違って渡してしまいました。がちょーん。

ウィリアムズバーってのはイギリス人(嫁はフィリピン人)が経営しているバーで、学校のある界隈ではわりと値段の高い店。店員もわりとまともな英語を喋り、そこそこ綺麗なお姉ちゃんが揃っている。

のに、この日1000ペソ札を渡してしまったお姉ちゃんは、そんなウィリアムズバーでいちばんブチャイクな女の子だったのです。あちゃー。こりゃ明日から勘違いされるなあ。


続く。


※これからしばらくの間、毎日更新します。更新予定は、3週目の留学日記、ダバオ旅行記、4週目(最終週)の留学日記、読み終わった本の感想文(9冊読了)です。

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2011/11/09

フィリピン英語留学記1週目:9月18日(日)夜~9月23日(金)

LIFECEBU というセブ島にある韓国資本の英語学校に入学した。

◆9月18日(日)
イロイロからマクタンに飛んだ。マクタン空港に学校の職員が迎えに来てくれて、同じような時間帯に到着した韓国人クロエ(若い女性)と一緒に学校の寮に連れて行かれ、4人部屋に案内された。

んー? 2人部屋を頼んだのだが。

インターネットがつながったので留学コーディネーターにSkype。程なく2人部屋に案内された。

夕方、留学コーディネーターから晩飯の誘い。イロイロで飲んだくれた勢いそのまま、調子に乗ってビールガブガブ。

夜、室内禁煙なので、学校敷地内の喫煙所に行くと、大勢の韓国人若者と日本人若者。45歳にもなって留学なんて場違い、って雰囲気をありありと感じる。アウェーだ。ちぃと強がってみる。


◆9月19日(月)
8:30に集合、午前中はオリエンテーションとレベルチェックテスト。

「室内喫煙と室内飲酒は即、退学だ!」
「門限は平日は夜11時。終末は1時だ!」
「門限破りにはワーニングペーパーが出る。ワーニングペーパーは4週留学は3回まで、8週留学は7回まで、12週留学は11回まで許されるが、それを超えると退学だ!」
「授業は明日の朝からで、7:50にクラス分けの結果を渡すから事務所に来るんだ!」

と告げられ、午後は同日入校のみんなと一緒にアヤラモールに行き、
携帯電話を買うのはここがいいよ、とか、
日常品を購入する場所(スーパーマーケット)はここがいいよ、とか案内され、
最後に両替所に行き、解散。

ちなみにアヤラモールは、ららぽーと柏の葉よりでかいモールで、「ここがフィリピンと言われても」イマイチピンとこない場所。まあイロイロ市(人口40万人位)ですら大きなショッピングモールが何軒もあったから私はあまり驚かなかったけど、同日入校の日本人はけっこう驚いていた。

帰寮後、フィリピン公式SSP=SpecialStudyProgramの資格取得代金6,000ペソ、ビザ延長代金3,330ペソを払う。

夕方、やることないので、同日入校のヨシ君(26歳)、カイト君(21歳)とセブシティをうろつき、バーベキュー屋台で何やら食す。

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学校のWi-Fiが、かなり相当極めて貧弱。韓国資本らしくない。

夜、学校の喫煙所で知り合った日本人の若者のフェアウェルパーティをやっているのに誘われたので、寮から歩いて5分のところにあるウィリアムズバーに行って飲む。


◆9月20日(火)
7:40に事務所に行って、クラス分けの紙を貰う。全てのレベルが「LOW BEGINNER」。世界一周旅行したんだからさ、少しは上のランクになっているかと思っていたので、ちょっとショック。

授業は
1時間目 8:00-9:10 (Daisyの日常会話レッスン・スモールグループ)
2時間目 9:20-10:30 (Lynのグラマーレッスン・マンツーマン)
3時間目 10:40-11:50 (Vacant=授業無し)
 昼休み
4時間目 12:50-14:00 (Mildの発音レッスン・マンツーマン)
5時間目 14:10-15:20 (Niveaのスピーチレッスン・スモールグループ)
6時間目 15:30-16:40 (Fernandのエロ英会話教室・マンツーマン)
エクストラ 18:40-19:30 (Listening, Speaking, Dectationの中から好きなのを選ぶ。初週は受講不可)

70分×5=350分の授業。
この日は全て自己紹介で終わった。勉強になっているのかな?


(思い出し追記)ユウタ君がヒマそうにしているので「飲みに行くべ」と誘うと、アレハンドロというバーに案内してくれた。タイキ君やショウン君、ミスター165も合流。


◆9月21日(水)
昨日LynとMildに指定された教科書を買う。
70分×5=350分の授業。
同室だった韓国人の若者が「俺、部屋変えるから」といって逃げた。毎晩酒飲んでいたからかな。ちょっとショック。
酒も飲まず黙々と自習する。
今週末で留学を終了する大学生(日本人)にコンビニの場所を教えて貰う。マルボロが44ペソ=80円って。


◆9月22日(木)
70分×5=350分の授業。
昼過ぎからスコール続き。
学校の敷地内から一歩も外に出ないで、3時間酒も飲まずに黙々と自習する。
勉強スタイルが確立できない。


◆9月23日(金)
金曜日は終末時間割になる。

1時間目 8:00-8:50 (Daisyの日常会話レッスン・スモールグループ)
2時間目 9:00-9:50 (Lynのグラマーレッスン・マンツーマン)
3時間目 10:00-10:50 (Vacant=授業無し)
4時間目 11:00-11:50 (Mildの発音レッスン・マンツーマン)
 昼休み
5時間目 12:50-13:40 (Niveaのスピーチレッスン・スモールグループ)
6時間目 13:50-14:40 (Fernandのエロ英会話教室・マンツーマン)

50分×5=250分の授業。

明日、同日入校のみんな(BatchMatesという)とマクタン島のビーチに行くことになり、1,700ペソ払う。

授業が早く終わってやることがないので、バッチメイトのカズさん(60代)とロビンソンモールに行って日用品を仕入れてきて、ついでに再びバーベキュー屋台でメシを食って酒を飲んで帰寮。

酒が足りないからウィリアムズバー(Wi-Fiがそこそこ快適である)にパソコン持参で行き、ビールをガブガブのみながらブログ書き書き。

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2011/11/03

9月18日(日)、イロイロ観光→マクタン空港(セブ)へ

セブ島に飛び、留学先の宿舎に移動する日。

8:00に起きて、宿のフロントの姉さんにチェックアウトの時間を確認したら13:00というので、とりあえずアトリウム(ショッピングモール)のフードコートに行き、朝っぱらから店を開けている数店の中からベトナムのフォーみたいな感じのビーフヌードルを選んで食す。

イロイロで見残したところを観光すべく、ジプニーに乗ってハロ教会へ。(アトリウムは多くのジプニーが通過するので、目的地に行くのに便利なのだ)

P9183141_jaro_small

さらっと観光してアトリウムに戻り、ジプニー乗り換えてモロ教会へ。モロ教会への行き方がわからなくなって、ジプニーの隣に座った若いお姉ちゃんに聞いたら、「私の勤め先のガソリンスタンドのすぐそばだから」と言ってジプニー降りてからもずっと案内してくれる。

P9183145_molo_small

これがインドだったらチップ目当てだから絶対に断るところなんだけど、パナイ島の人々はそういう感じじゃないんだよなあ。

これでイロイロにある3つの歴史的教会のうち2つを見たわけだが、歴史的建造物にあまり魅力を感じない私は飽きてしまった。

アトリウムのフードコートに戻ってチキンバーベキュー(旨し)を食べ、宿に戻ってチェックアウト。

実はここでもイロイロの人々の大らかさが出た。

16日に宿を変えファミリーペンションハウスにチェックインした際、一泊675ペソ、2泊だから1350ペソの料金を言われたけど、大きい札しかなかったので、とりあえず1000ペソだけデポジットとして払った。でチェックアウトの際、当然差額を請求されると思っていたのに、フロントの姉さんは何も言わない。申し訳ないから、私から「差額払ってないよ」と切り出すことに。これがインドだったら……(以下略)

フロントの姉さんに「空港に行きたい」と言ったら、「だったらSMショッピングモールまでタクシーで行って、そこから空港シャトルバスが出ているからそれに乗るといいわ。これなら100ペソくらいで行けるわよ」と教えてくれる。ついでにタクシーをつかまえて、タクシードライバーに「行き先はSMよ」と念押ししてくれる。

結果的には、タクシードライバーが「スーツケース持っている外国人だから空港に行くんだろ、任せとけって、空港まで直接行くぜ!」とか言われて押し切られて400ペソ払いました。

タクシーでダイレクトに空港に来ちゃったから13:15に空港着。

飛行機の出発時間は15:05なのに……

しょうがないから、有料(ドリンクなどを何か頼めばOK)喫煙ラウンジでビールとタバコ。ラウンジのテレビでピラニア(かその亜流映画)が流れていて、昼間っから血まみれスプラッター。


ぼけーっとスプラッター映画を見つつビールを飲んでいたら、14:15に搭乗開始のアナウンスが。早いなあ、と感じ(予定では14:25に搭乗開始)ながらも搭乗ゲートをくぐると、

なんと!

久々に乗るプロペラ機でした。

P9183148_puropera_small

マニラ→イロイロの飛行機と同じAirPhil Express というLCCで、80人乗りの小型飛行機です。

搭乗したらすぐ離陸。

え?

15:05出発予定じゃなかったの?

まだ14:38だよ?


せっかくのプロペラ機なので、プロペラを動画で撮ってみた。

なるほど、デジカメで撮るとプロペラが動いていないように見えるんだな。


で、これがパナイ島の海岸部(色調補正)。

P9183152_panayis_hosei_small


で、これがマクタン空港(セブ)への着陸シーン。離着陸の際は電子機器の電源を切りましょう。

15:10に到着しました(本来は15:50の予定)。


飛行時間わずか32分。


今さらですけど、マニラ→イロイロは200人乗り飛行機で1169ペソ(約2200円)、イロイロ→セブ島(マクタン空港)は80人乗り飛行機で1359ペソ(約2600円)でした。

アジアのLCCって安いね。

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