ブライアン・サウソール/ルパート・ペリー/上西園誠訳「ノーザン・ソングス―誰がビートルズの林檎をかじったのか」感想。
ノンフィクション。2012年05月24日読了。
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<2018/08/09 部分改定>
1985年、マイケル・ジャクソンがビートルズの著作権を買った(wikipediaの1985年参照)。
正確に言うと、ビートルズのメンバーが作詞作曲した音楽の著作権を持っているATVミュージック社を、マイケル・ジャクソンが買った。
◆本書の概要(紀伊國屋Bookwebより)
ビートルズの名曲の大半を占めるレノン=マッカートニー楽曲。
それらを管理するために設立された音楽出版会社であるノーザン・ソングスは、さまざまな人々の思惑に翻弄され、譲渡を繰り返す。
作者のひとりポール・マッカートニーが現在、権利を所有しているレノン=マッカートニー楽曲は2曲のみ。
果たして誰がビートルズの林檎をかじったのか!?
ディック・ジェイムズか、ルー・グレードか、ロバート・ホームズ・ア・コートか、はたまたマイケル・ジャクソンか?
もうひとつのビートルズ史。
◆感想
本書は、2010年4月に出版された。原著は2006年に(たぶん)イギリスの出版社から出た。私の以前の職業は、コンテンツビジネス業界のライツマネジメント+法務。なので、本書のテーマに興味があり買った。
ビートルズの楽曲の著作権は、なぜマイケル・ジャクソンの手に渡ったのか。
それをビートルズ誕生時まで遡り、当時のビートルズメンバー+マネージャーのエプスタインは、誰とどのような契約をしたのか、どのような経緯でそういう契約になったのか?
それらを、手に入れられる限りの資料と、直接関わった音楽業界関係者の証言で構成した、読み応えたっぷりなノンフィクションである。
◆以下、抄録(間違っている部分があるやもしれず)
・ビートルズがバンドを組み、地元で人気を得ていた。
・楽器の小売店で修行し、レコード販売店(NEMS)を経営していたエプスタインがマネージャーを買って出た。
・エプスタインが売り込んで、ビートルズはEMIからレコードを出すことになった。
・音楽出版契約を結ばないとならなくなったので、最初の2曲(シングルの裏表)をEMIの音楽出版部門、アードモア&ビーチウッド社と契約した。
→その2曲とは、1962年10月に発売されたメジャーデビュー曲「A面 ラヴ・ミー・ドゥ」「B面 P.S.アイ・ラヴ・ユー」である
・アードモア&ビーチウッド社の音楽出版社としての売り込み能力は、エプスタインの満足する物ではなかった。
・以降の曲はディック・ジェイムズ・ミュージック社と音楽出版契約を交わした。
→以降の曲とは、1963年1月に発売された2枚目のシングル「A面 プリーズ・プリーズ・ミー」「B面 アスク・ミー・ホワイ」以降の曲である。
(注:音楽出版契約を交わすと、著作権は作詞者や作曲者から、音楽出版社に譲渡される。譲渡である。譲渡した時点で、著作権は音楽出版社の物になる。代わりに音楽出版社は曲をいろんな所に売り込み、対価を作詞者作曲者に支払う。)
・ディック・ジェイムズは、ビートルズの楽曲を専門に扱う音楽出版会社ノーザン・ソングス社を、「ジョン・レノン」「ポール・マッカートニー」「NEMS(エプスタインの会社)」「ディック・ジェイムズ・ミュージック社」、合計4社者の合弁会社として新しく設立した。(当時ジョージ・ハリスンとリンゴ・スターは曲を書いて作詞作曲をしていなかったので蚊帳の外。ジョージ・ハリスンは後に曲を書き、ノーザン・ソングス社と音楽出版契約を交わしているが、後々揉める)
・ノーザン・ソングスの設立は、2枚目のシングルが発売された後の、1963年2月である。
◆以降駆け足
・レノンとマッカートニーの税金対策を主眼として、ノーザン・ソングス社は株式上場した。
(注:当時のイギリスでは、高額を稼ぐと90%を越える所得税が課せられた。しかし、株式配当という形なら、税率は50%程度だった)
・ノーザン・ソングス社とは別に、ビートルズのレコードを出すための会社(原盤やアルバムアートワークを作る会社)としてアップル社(iPhoneの会社じゃないよ)が作られた。
・ディック・ジェイムズはレノン、マッカートニーに内緒で、ノーザン・ソングス社をATV社に売却した。
・レノンとマッカートニーが仲違いし始め、ビートルズ解散。
(以下はwikipediaのビートルズより一部引用)
1970年4月10日、ポール・マッカートニーはイギリスの大衆紙『デイリー・ミラー』でビートルズからの脱退を発表し、同年12月30日にはロンドン高等裁判所にアップル社と他の3人のメンバーを被告として、ビートルズの解散とアップル社における共同経営関係の解消を求める訴えを起こした。翌1971年3月12日、裁判所はポールの訴えを認め、他の3人は上告を断念したのでビートルズの解散が法的に決定された(解散についての詳細はビートルズの解散問題を参照の事)。
・レノンが殺された。(1980年)
・オノヨーコがレノンの著作権代理人となり、オノヨーコが契約交渉の場に占いを持ち出したり支離滅裂状態になった。
・ATV社はオーストラリアの銭ゲバ富豪ホームズ・ア・コート率いるACCに買収された。
・マッカートニーは何度か自分の著作権を買い戻す機会があった。けど、オノヨーコ(レノンの代理人)と連携が取れず、買い戻すには至らなかった。
・オーストラリアの銭ゲバ富豪ホームズ・ア・コートは、買収したATV社を、テレビ部門や音楽部門など切り売りした後、ノーザン・ソングス社が含まれるATV音楽出版部門を、最終的にマイケル・ジャクソンに売却した。
・マイケル・ジャクソンへの売却に伴い、マイケル界隈の弁護士会計士が全力を尽くし、ノーザン・ソングス社はバハマ籍になり(バハマはタックス・ヘイヴン)、そして消滅した。
・マイケル・ジャクソンはATVの音楽出版管理業務をCBSソニーと提携した。EMIじゃなく。
・マイケル・ジャクソンは、自身の幼女暴行疑惑や放蕩生活が原因で、破綻しかかっている。
・さてどうなる……(本書はマイケル・ジャクソンが死ぬ前に出た本である)
……というような話が、
百人以上に及ぶ当時のイギリス音楽業界の関係者や、アメリカの関係者、マイケル・ジャクソンの関係者、レノンやマッカートニーやオノヨーコやジョージ・ハリスンらが起こした数々の裁判記録、音楽雑誌のスクープ資料……
とにかく膨大な資料を元に、本書は書かれた(と思われる)。
とりあえず本書ではオノヨーコがすさまじく嫌われている。(ほぼバカ扱い)
巻末で音楽著作権関連の監修をしているシンコーミュージック(日本の音楽出版社の草分け)顧問の秀間修一氏は、本書の原文には間違いや矛盾が散見されると書いている。
とはいえ、ビートルズが好き、もしくは音楽著作権に興味があるのなら、本書はかなり役立つ一冊。
ちなみに音楽著作権に関する基礎知識がない人が読むと、さっぱりわけわからん本だと思う。(専門用語が多くて挫折するんじゃないかな)
7点/10点満点
※どうでも良いことですが、ヘヴィメタル以上を好んで聞く私は、ビートルズが嫌いです。退屈すぎるので。
※追記:レノンとマッカートニーはノーザン・ソングスとは別にマックレン・ミュージックという音楽出版会社を作って、ビートルズ解散以降、マッカートニーはマッカートニー・ミュージックやマッカートニー・プロダクションズ・リミテッドという会社を作り、レノンはレノン・ミュージックやレノノ・ミュージックという会社を作り、ジョージ・ハリスンはハリソングスという会社を作った。
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