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2012/07/29

船戸与一「雷の波濤 満州国演義7」感想。
歴史冒険小説。2012年07月17日読了。

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雷の波涛―満州国演義〈7〉


船戸与一(ガンで余命1年宣告されているらしい)の作家人生を締めくくるであろう、長大長編の第7巻。

外務省官僚で満州に赴任している長男・敷島太郎
無頼漢で満州で馬賊を率い人殺しも平気で請け負う次男・敷島次郎
満州で優秀なる憲兵人生を歩んでいる関東憲兵隊大尉の三男・敷島三郎
芝居にかぶれ殺人を犯し満州に逃げ新聞記者を経て満州映画会社に勤務する四男・敷島四郎


この4人の兄弟の人生から、「日露戦争、第一次大戦を経て、日本の中で明治維新の残光が消える瞬間まで描く」(新潮社HPより)長大長編である。

第7巻は、日独伊三国同盟から、パールハーバー、マレー侵攻まで。


本書では歴史説明の部分が多く、4人の主人公に動きが少ない。


うーん、個人的には肩すかし喰らったような展開。


6点/10点満点

※読んだ順番通りにするため、「黒檀」と本書の公開日付を逆にしました。(2012/8/7)

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2012/07/20

LASIK(レーシック)の近視戻り

自分用のメモです。気にしないで下さい。


2009年11月の世界一周スタートの前、2009年8月26日に私は近眼のレーザー手術LASIK(レーシック)を受けた。金27万円也。

2009年2月に銀座眼科の不衛生レーシックで女子大生が失明寸前という事故が起きたので、値段が高くても安心できる病院で手術を受けたので、金27万円也。高い也。

手術前
右0.008
左0.004

手術翌日(2009年8月27日)
右0.9
左0.3

手術2ヶ月後
視力不安定、調子いいときは両目0.6以上、悪いときは両眼とも0.3

2009年11月4日世界一周旅行開始
ブラジルのアマゾン川滞在中(マナウスからアマゾンジャングルリゾートに行った)、右眼から涙が止まらなくなり、大量の目やに発生。レーシックの影響なのか、アマゾン川で虫にやられたのか分からず、パニックに陥るも、アルゼンチン滞在中に治る。しかし2010年2月スペイン滞在中に再発。一時帰国して慈恵医大に駆け込んだら、慢性涙嚢炎で手術が必要と言われた。そんなこんなで、右眼も視力が落ちた。

2010年6月、世界一周旅行を終えレーシックを受けた眼科で視力を測る
右0.5
左0.3
測るとそれなりの数値が出るが、実感として視力は落ちた。


2010年9月、術後1年検査でも、
右0.5
左0.3
実感としては6月より更に落ちたのだが。


2011年?月、急激に視力が落ち始めた。
居間のソファに座ってテレビの番組表の文字が読めなくなった。同じくソファから本棚にある本のタイトルが読めなくなった。など、具体的な視力低下がはっきりと分かる現象が続いた。


2012年5月下旬、たちの悪い風邪をひいた。
扁桃腺の腫れが3週間も治らず、7月20日の今も左顎に痛みが残る。
この風邪をひいた頃から、再び急激に視力が低下した。壁掛けの巨大デジタル時計の文字が読めなくなり、巨大カレンダーの文字も読めなくなり、つまりどちらも数字なので普通ならば少々ぼやけていても読めるはずなのに、それが読めなくなった。

いま現在の実感としては、
右0.2
左0.05

くらいに視力が低下している。と思う。


適当にググったらレーシックの近視戻りという症状があり、レーシック手術を受けた患者の1~2%くらいに発生するらしい。元がド近眼だった人ほど、近視戻りが発生しやすいらしい。


レーシックのマイナス面、私の場合
・夜、街灯などを見ると、クロススクリーンフィルターがかかったように見える(右眼と左眼でキラキラの形や伸び方が異なる)。
・夜、目が見えづらい。いわゆる鳥目が強くなった。
・老眼がきつくなった(元もとド近眼だったので老眼はさほど気にならなかったが、レーシックで視力回復したため、一気に近くのものが見えなくなった)

→考えてみたら、レーシックで老眼がきつくなり、本を読むのが大変になってしまった。しかし読書は私の趣味であり、やめることはできない。で、本を読み続けているうちに、目が本を読むのに適した視力になるよう自己修復しているのだろうか?


私は角膜が薄くて、かつ元がド近眼なので、レーシック再手術はかなり厳しい。

しかしなあ、このレーシックの近視戻りはきっついなあ。1週間前は見えていたはずのものが見えなくなっている。日々視力が低下しているのを実感するのが、これほど精神的に堪えるとは。


・手術翌日に当ブログに書いた内容

・手術から2ヶ月後に当ブログに書いた内容

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2012/07/18

リシャルト・カプシチンスキ/工藤幸雄・阿部優子・武井摩利訳「黒檀」感想。
アフリカ諸国開国ルポ。2012年07月04日読了。

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黒檀

私的10点満点の本だった。

ポーランド出身のジャーナリスト、カプシチンスキ。

国営ポーランド通信社の初代アフリカ特派員であり、アフリカ諸国が次々と独立した頃、精力的にアフリカ取材をし、生涯、銃撃されること4回、銃弾飛び交う前線に立つこと12回、革命やクーデターの目撃証人になること27回(!)、ウガンダで脳性マラリアに罹るなど重病を患うこと数回というジャーナリストである。

私は本書を読むまでカプシチンスキのことをまったく知らなかったが、文学的な記事を書くジャーナリストとして世界的には有名らしく、ジャーナリストでありながらノーベル文学賞候補の一人だったという噂もあるほど。

本書は、独立直後のガーナや、ザンジバル(現タンザニア)の独立クーデター現場に立ち会ったり、同じように独立直後やクーデター直後のウガンダやルワンダやいろんな国で取材した内容を、1998年に回想録的に新聞連載したものをまとめた本。

186ページより
アフリカを旅行していると、ときどき(しばしば)検問に出くわす。それをカプシチンスキは、
「(検問で)見張っているのは、警察か軍隊である。警官か兵士。こういう職種の人々のやり方を見れば、その国の現況がよく分かる--たとい、首都から遠い地域に住んで、ラジオを聞かずにいても(ちなみに、新聞は田舎には届かず、テレビはない)。見分け方は、以下のとおりである。こちらが車を停めるか停めないかのうちに、質問もせずにどなりつけ、悪くすると殴りかかってくるようならば、そこの国は独裁権力が久しいか、ないしは戦争中と判明する。それとは対照的に、兵士や警官がにこやかに寄ってきて、手を差し出し、礼儀正しく「ご承知のとおりわれわれの給与は極めて少なく……」と口上を述べれば、そこは安定した民主的国家で、自由選挙があり、人権も守られていると知れる」


2730円もするので気軽に買うことは出来ない価格だが、アフリカに興味がある人は絶対に読むべき一冊である。


10点/10点満点


◆著者略歴

1932年、ポーランド領ピンスク(現ベラルーシ領)に生まれたリシャルト・カプシチンスキ。

6歳で入学した小学校では、ドイツ人、ウクライナ人、リトアニア人、ベラルーシ人、アルメニア人、ユダヤ人など多様な背景を持つ同級生に囲まれていた。

7歳の時、第二次世界大戦勃発。ポーランド領ピンスクはロシア赤軍の手に落ち、学校ではロシア語を学ぶ。父は、ロシア軍に捕まり虐殺されそうになるが、何とかワルシャワに逃げる。

8歳の時、母とともにワルシャワに逃げ、父と再会する。

13歳の時、終戦。そのまま一家はワルシャワで暮らす。

17歳の時、週刊誌に誌が掲載される。

18歳の時、日刊紙「青年の旗」編集部にて働き始める。大学へ通うため4年ほど休職。

23歳の時、日刊紙「青年の旗」に復帰。新興工業地帯ノヴァフタのルポで、黄金功労勲章を受勲。

24歳の時、ソ連・ポーランド首脳会談の模様を舌鋒鋭く記事化、ルポ化。その後(黄金功労勲章のご褒美として)インドに派遣される。帰路、第二次中東戦争の影響でスエズ運河が封鎖されたため、アフガニスタン経由で帰国を試みるも、査証不携帯で数日(拘束?)留まる。

25歳の時、インド、アフガニスタンのルポを発表。半年間中国に派遣。2ヶ月東京にも滞在。日刊紙「青年の旗」編集方針変更のため、シベリア鉄道に乗ってポーランドへ帰国。

1958年、26歳の時、日刊紙「青年の旗」辞職。政治週刊誌「ポリティカ」とポーランド通信社の記者を兼任。この年の12月から1月にかけて、ガーナ、ダホメ(現ベナン)、ニジェールを訪れる。※この前年の1957年3月6日、ガーナ独立(サハラ以南のブラックアフリカで初めての独立)

1960年、28歳の時、12月から翌年2月まで、コンゴ内戦勃発を受け非合法にコンゴへ渡る。拘束され、死刑を宣告されるも、国連軍の兵士に救出される。

1962年、30歳の時、政治週刊誌「ポリティカ」辞職、ポーランド通信社初のアフリカ特派員になる。ダンガニイカ(現タンザニア)に単身居を構える。ケニア、ウガンダ、ルワンダ、ブルンジ、ソマリア、エチオピア、スーザン、ザンビア、南ローデシア(現ジンバブエ)を取材。7月、独立宣言をしたルワンダに滞在、10月独立宣言をしたウガンダに滞在。ウガンダで脳性マラリアに罹る

1963年、31歳の時、タンガニイカで肺炎発症、数ヶ月伏せる。12月、独立宣言をしたケニアに滞在。

1964年、32歳の時の1月、ザンジバル王国(現タンザニア)のクーデター現場に潜入。2月、ソマリア・エチオピア紛争取材。以降カメルーン、ニジェール、ナイジェリア、ダホメ(現ベナン)、トーゴ、ガーナ、ギニア、ブルキナファソ、コートジヴォワール、セネガル、マリ、モーリタニア、アルジェリア、リビアなどを取材。

この頃までにアフリカ諸国の建国の父とは数多く面識があり、コンゴのルムンバやモブツ、タンザニアのニエレレ、ジンバブエのムガベ(今も大統領だ)やンコモ、ザンビアのカウンデ、ガーナのンクルマ、ウガンダのアミンなどと会っているとか。

1965年、33歳の時、ナイジェリアのラゴスに居を移す。6月、軍事クーデターが起きた直後のアルジェリアに潜入。11月、軍事クーデターが起きたギニア、コンゴ、ダホメ(現ベナン)、ナイジェリアに滞在。

1966年、34歳の時、中央アフリカ、ガーナ、ウガンダ、トーゴ、オートボルタ(現ブルキナファソ)、ナイジェリアの軍事クーデターを取材。9月、原因不明の熱病に罹りポーランドに帰国し入院。

1998年、36歳の時、ラテンアメリカ支局特派員でチリに滞在、軍事クーデターの予兆をかぎ取り記事にしたら、内容が内容なだけにチリから国外退去命令下る。

……

生涯、銃撃されること4回、銃弾飛び交う前線に立つこと12回、革命やクーデターの目撃証人になること27回(!)、ウガンダで脳性マラリアに罹るなど重病を患うこと数回。


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2012/07/10

ケビン・メア(田原総一朗責任編集)「自滅するな日本」感想。
国防対談。2012年07月01日読了。

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自滅するな日本

本書はケビン・メアと田原総一朗の対談をまとめたもの。

ケビン・メア氏とは、在沖縄アメリカ総領事も勤めたアメリカの外交官で、「沖縄はゆすりの名人」とか何とか言ったと琉球新報に書かれバッシングされ、外交官をやめちゃった人。

ケビン・メア自身は、舌禍事件は琉球新報のでっち上げ、と事実無根を主張しているが、外交官時代は米国国務省から反論するなと言い渡されたので反論できなかったのだそうだ。

ケビン・メア氏をテレビで見たことのある人は、氏が流暢な日本語を喋るインテリ知日家であることを覚えているのではないだろうか。


本書では、
沖縄・普天間基地周辺に住宅や小学校が建てられたのは、市が許可したからである
アホかと思った、鳩山首相の「最低でも県外」発言
「政権交代したから国家間の取り決めは白紙」なんてあり得ない
沖縄県民の100%が、米軍基地に反対というわけではない
日本の新聞は、真実には関心がなく、大騒ぎが好きなだけである
政治家達が、沖縄の人の被害者意識を利用している
「海兵隊がオーストラリアに行くから普天間はいらないは間違いである
「専守防衛だから、ミサイル発射前に攻撃できない」はヘンである
キッシンジャーとゴルバチョフは、日本の憲法改正に大反対だった

沖縄基地問題、民主党の迷走、日米安保、中国との関係、TPP、日本へのメッセージなど多岐にわたった内容が記されている。


まあ、なんつーか。おもろかったよ。


沖縄から米軍基地を移動できないのは、世界地図を見たら一発で分かりそうなものなんだがなー。


8点/10点満点


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2012/07/03

高野和明「ジェノサイド」感想。
SFクライムサスペンス。2012年06月28日読了。

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ジェノサイド

このミステリーがすごい2012年版 第1位
本の雑誌2011年上半期ベスト10の 第1位
第65回日本推理作家協会賞受賞

という華々しいタイトルを持つ本書。

詳しくは角川書店が作っている「高野和明ジェノサイド特設サイト」へ。


高野和明作品は、江戸川乱歩賞受賞のデビュー作「13階段」だけ読んだことがある。「13階段」を読んで、これは期待できる新人だなあ、と思ったが、ちょうどその頃(2001年)から私の読書傾向が、小説からルポ、ドキュメンタリー、ノンフィクション(と普通の旅行記)にシフトしていったため、結局「13階段」しか読んでいない状態のまま今日に至る。


それはそれとして、今年も「ぴあ」の株主優待で5000円分の図書券が貰える季節になった。5000円である。文庫や新書を7~8冊買うも良し、マンガを12冊買うも良し、さてどうしようかと思っていたが、本書を含めて単行本を3冊買ってしまった。

ベストセラーの本書なので、古本で買おうと思えば買えるけど、(今まで何度か当ブログに書いていますが)良かれ悪しかれ感想をブログに書く以上は、著者と出版社に対してきちんと対価を払った上でなければならない、と言うのが私のスタンスですので、本書を新刊で買ってしまいましたのですよ。


で、本書は1日で読み終えた。


◆◆◆◆◆以下、ネタバレ有り◆◆◆◆◆◆


◆◆◆◆◆ネタバレ有り◆◆◆◆◆◆


◆◆◆◆◆ネタバレ有り◆◆◆◆◆◆


◆◆◆◆◆ネタバレ有り◆◆◆◆◆◆


◆◆◆◆◆ネタバレ有り◆◆◆◆◆◆


設定からくる「御都合主義的展開」や、設定消化不良の部分(日本人傭兵がなぜ選ばれたのか?)とか、そもそもやっぱりアメリカ軍のリモコン爆撃機プレデターを乗っ取ってXXXXを抹殺できるのなら、この計画事態を中止に追い込むことや、そもそももっと安全に脱出する方法があったんじゃね?

などなど不満は尽きぬが。


まあでも、私が暇人と言うことを差し引いても、1日(正確には9時間くらい)で読み終えてしまうくらい、ぐいぐいぴっぱるストーリー展開は見事。

娯楽小説を堪能しました。


ちなみにamazonレビューで1点や2点を付けている人の多くに、対朝鮮の歴史観に起因する作者の理解不足が挙げられているが(要するに、朝鮮贔屓の歴史観を押しつけるんじゃねーよ、っていうネトウヨ的な反感)、そんなん、娯楽SF冒険小説なんだから、大騒ぎするよーなことじゃねーじゃん、と私は思うのでした。


この小説に出てくる医薬品開発の工程で、ソフトウェアを使ってどうのこうの、受容体がどうのこうの、と言う記述に対して違和感をもった人へ。

医薬品の開発とは、世界中の土を採取しその中から菌を取り出し培養し、医薬品として使えそうな菌を地道に探すもの……この方法はとても古いやり方なのだそうだ。

今はコンピュータで病気の原因となるタンパク質の構造を解析し、欠陥タンパク質(受容体)の穴を埋めるような物質を化学的に作ること、これが医薬品開発の主流なのだそうだ。

佐藤健太郎「医薬品クライシス」にそういうことが書かれていた。興味があれば読まれたし。


9点/10点満点


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2012/07/01

クラウス・ブリンクボイマー/渡辺一男訳「出口のない夢-アフリカ難民のオデュッセイア」感想。
ルポ。2012年06月25日読了。

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出口のない夢―アフリカ難民のオデュッセイア

ヨーロッパ移住を目指すアフリカ諸国の貧民。

自国で大学を出ても、教師の仕事も電気工の仕事も配管工の仕事もないアフリカ諸国の貧民。

アフリカ諸国の農村で農家をやっていても、食っていくことすら出来ないから、農村から大量の食い詰め者が都市にやってくる。学歴は関係ない。仕事がそもそも無い。学歴があっても働く場所がないアフリカ諸国。

運良く仕事にありつけたものは、その特権をフル活用し、親類縁者に仕事を回す。(もしくは、親類縁者はたった一人の働き者にたかる)

運が普通だと仕事にありつけない。そういうアフリカ諸国の一般人は、ヨーロッパで働くことを夢見る。

ガーナ出身者の場合、旅費を親類縁者から借金し、まずガーナからトーゴに行き、ベナンに行き、ナイジェリアに行き、ナイジェリアの巨大都市ラゴスでしばし働き金を貯め、(ナイジェリアの)ベニンシティ、アブジャ、カドゥーナ、カーノに渡り、国境を越えニジェールのアガデス、アルリット、アッサマッカに行き、国境を越えアルジェリアのタマンラセット(蔵前仁一「ゴーゴーアフリカ」にも出てきたルートだ!)、インサラー、ガルダイア、そして首都アルジェに行き、ここでまたしばらく働き金を貯め、アルジェリアからモロッコに抜け(※)、アフリカ大陸モロッコ国の敷地内にあるスペイン領、セウタやメリリャに密入国、もしくはモロッコのタンジェからゴムボートで無理やりスペインに渡る。

※アルジェリアとモロッコは国境紛争を抱えているので、通常陸路国境は閉じている。

※全然関係ありませんが、「世界206カ国」に行ったことのあるバックパッカーのWebサイトが面白いです。赤道ギニアや中央アフリカ旅行記もあります。でもアルジェリア旅行記は無いんだな。


等々の無理矢理、強引、なりふり構わず、ヨーロッパ諸国法律など関係なしに、とにかくなでもいいからヨーロッパに渡る。

それがアフリカの貧民(と言っても仕事がないだけの普通の人々)

モロッコ領内にあるスペイン領セウタやメリリャは、今や3m、5mの有刺鉄線で国境がガードされ、怪我をも構わず密入国を試みても、有刺鉄線を登っている最中に見つかれば、モロッコ警察経由で母国へ強制送還される。

アルジェリアの警察に見つかれば、「不法入国」と断定され捕まり、サハラ砂漠まで連れ戻され、水も食料もない状態でサハラ砂漠に捨てられる。

ゴムボートででヨーロッパ(主にスペイン)に行く場合、ちっぽけなゴムボートに50人、100人乗せるため、ジブラルタル海峡を渡っている最中に数人~数十人が海に落ちる。密入国は夜なので、落ちたら最後、死ぬだけ。

落ちずにスペインに辿り着いたとしても、ビーチからスペイン領内へは有刺鉄線のバリケード。

アフリカの貧民がヨーロッパに渡ろうとしていることは、モロッコ警察からスペインに通報がいっているので、有刺鉄線をくぐり抜けてもそこにはスペインの警察が待ち構えている。

それでも何とかヨーロッパへの密入国を果たしたアフリカの貧民は、夢にまで見た金持ちヨーロッパが実は移民への差別意識が強く、スペイン語もフランス語もドイツ語もまともに喋れないアフリカ人が雇用される機会は極めて少ないことを知り、新たな絶望を覚えるのである。

運良くヨーロッパで仕事にありつけたガーナ人ジョン・エコ・アムパンが、どのようにヨーロッパにやってきたのか。

本書は、ドイツのジャーナリストが、アムパンの足跡を、アムパンと一緒にトレースするすることで再現したルポである。

アムパンは、ヨーロッパで出稼ぎすべく、妻も子供もガーナに置いて旅立った。しかしガーナからドイツに渡るまで、3年以上を費やした。

ガーナからトーゴ、ベナンを経てナイジェリアに行き、金が尽きたので密入国先で闇で働き、アルジェリアに行ったら警察に見つかりサハラに捨てられ、それでも何とかニジェールに行き、ブルキナファソからマリ、セネガル、モーリタニアに行き、モーリタニアでまた働き、金を貯めて西サハラ経由でモロッコに行き、モロッコでまた働き、ようやくスペインに渡り、運良く教会に拾われ、シェンゲン協定(ヨーロッパ内はパスポート無しで行き来できる協定)のおかげでドイツに渡った。(注:うろ覚えにつき、間違ってるかも)


本書で記憶に残る文章は、経済的に豊かなヨーロッパと、貧しいアフリカ諸国を対比する言葉として

「(前略)ヨーロッパの雄牛はアフリカの人間より多くの金を稼ぐ。あなたたち(ヨーロッパ諸国のこと)の農業補助金がわれわれの農業を壊滅的にしている。われわれはヨーロッパの補助金政策によって毎年250億ドルもの輸出収入を失っていることを知っているのか? これと比べたら、あなたたちの発展途上国援助なんてお笑い種だよ。(後略)」 P128


まあ、なんだ。

地球の人口が増えすぎたんだな。


8点/10点満点


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FaceBookで友達申請する設定(備忘録)

備忘録(2012年9月9日作成、但しブログの下に持っていきたいのでエントリーは7月1日付けに変更)

facebookに参加している知り合いがいるけど、友達申請を受け付けていない。

何でかな?と思って調べた。

ホーム → プライバシー設定 → つながりの設定 → あなたに友達リクエストを送信できる人

の設定が「友達の友達」になっていて、その知り合いが既に承認している友達の中に自分の友達がいないと、

100%確実な知り合いであっても友達申請できない。(ややこしい言い回しだ)


その知り合いは、facebookの使い方が分からないしセキュリティが不安だからあまり友達を拡げたくないらしい。

上司から友達申請されるのも嫌な場合だってあるだろう。

だったら、

「あなたに友達リクエストを送信できる人」を数日間だけ「すべてのユーザー」に設定して、

その数日間に共通の知り合いが多くいそうな人を数人だけ友達承認して、

その後また「あなたに友達リクエストを送信できる人」を「友達の友達」に設定し直せば、今の上司とか昔の上司とか実は嫌いな奴からの友達申請が来ることはなくなる。

どないだ?

Fb1_2


Fb2_2


とか書いているけど、私だってfacebookみたいな甘甘セキュリティかつポジティブ発言推奨のSNSは、それほど積極的に使っていませんけどね。

でもなあ。

世の中 LINE みたいなセキュリティだだ漏れアプリが大流行なんだよなあ。何かが間違っていると思うぞ。

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