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2012/07/18

リシャルト・カプシチンスキ/工藤幸雄・阿部優子・武井摩利訳「黒檀」感想。
アフリカ諸国開国ルポ。2012年07月04日読了。

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黒檀

私的10点満点の本だった。

ポーランド出身のジャーナリスト、カプシチンスキ。

国営ポーランド通信社の初代アフリカ特派員であり、アフリカ諸国が次々と独立した頃、精力的にアフリカ取材をし、生涯、銃撃されること4回、銃弾飛び交う前線に立つこと12回、革命やクーデターの目撃証人になること27回(!)、ウガンダで脳性マラリアに罹るなど重病を患うこと数回というジャーナリストである。

私は本書を読むまでカプシチンスキのことをまったく知らなかったが、文学的な記事を書くジャーナリストとして世界的には有名らしく、ジャーナリストでありながらノーベル文学賞候補の一人だったという噂もあるほど。

本書は、独立直後のガーナや、ザンジバル(現タンザニア)の独立クーデター現場に立ち会ったり、同じように独立直後やクーデター直後のウガンダやルワンダやいろんな国で取材した内容を、1998年に回想録的に新聞連載したものをまとめた本。

186ページより
アフリカを旅行していると、ときどき(しばしば)検問に出くわす。それをカプシチンスキは、
「(検問で)見張っているのは、警察か軍隊である。警官か兵士。こういう職種の人々のやり方を見れば、その国の現況がよく分かる--たとい、首都から遠い地域に住んで、ラジオを聞かずにいても(ちなみに、新聞は田舎には届かず、テレビはない)。見分け方は、以下のとおりである。こちらが車を停めるか停めないかのうちに、質問もせずにどなりつけ、悪くすると殴りかかってくるようならば、そこの国は独裁権力が久しいか、ないしは戦争中と判明する。それとは対照的に、兵士や警官がにこやかに寄ってきて、手を差し出し、礼儀正しく「ご承知のとおりわれわれの給与は極めて少なく……」と口上を述べれば、そこは安定した民主的国家で、自由選挙があり、人権も守られていると知れる」


2730円もするので気軽に買うことは出来ない価格だが、アフリカに興味がある人は絶対に読むべき一冊である。


10点/10点満点


◆著者略歴

1932年、ポーランド領ピンスク(現ベラルーシ領)に生まれたリシャルト・カプシチンスキ。

6歳で入学した小学校では、ドイツ人、ウクライナ人、リトアニア人、ベラルーシ人、アルメニア人、ユダヤ人など多様な背景を持つ同級生に囲まれていた。

7歳の時、第二次世界大戦勃発。ポーランド領ピンスクはロシア赤軍の手に落ち、学校ではロシア語を学ぶ。父は、ロシア軍に捕まり虐殺されそうになるが、何とかワルシャワに逃げる。

8歳の時、母とともにワルシャワに逃げ、父と再会する。

13歳の時、終戦。そのまま一家はワルシャワで暮らす。

17歳の時、週刊誌に誌が掲載される。

18歳の時、日刊紙「青年の旗」編集部にて働き始める。大学へ通うため4年ほど休職。

23歳の時、日刊紙「青年の旗」に復帰。新興工業地帯ノヴァフタのルポで、黄金功労勲章を受勲。

24歳の時、ソ連・ポーランド首脳会談の模様を舌鋒鋭く記事化、ルポ化。その後(黄金功労勲章のご褒美として)インドに派遣される。帰路、第二次中東戦争の影響でスエズ運河が封鎖されたため、アフガニスタン経由で帰国を試みるも、査証不携帯で数日(拘束?)留まる。

25歳の時、インド、アフガニスタンのルポを発表。半年間中国に派遣。2ヶ月東京にも滞在。日刊紙「青年の旗」編集方針変更のため、シベリア鉄道に乗ってポーランドへ帰国。

1958年、26歳の時、日刊紙「青年の旗」辞職。政治週刊誌「ポリティカ」とポーランド通信社の記者を兼任。この年の12月から1月にかけて、ガーナ、ダホメ(現ベナン)、ニジェールを訪れる。※この前年の1957年3月6日、ガーナ独立(サハラ以南のブラックアフリカで初めての独立)

1960年、28歳の時、12月から翌年2月まで、コンゴ内戦勃発を受け非合法にコンゴへ渡る。拘束され、死刑を宣告されるも、国連軍の兵士に救出される。

1962年、30歳の時、政治週刊誌「ポリティカ」辞職、ポーランド通信社初のアフリカ特派員になる。ダンガニイカ(現タンザニア)に単身居を構える。ケニア、ウガンダ、ルワンダ、ブルンジ、ソマリア、エチオピア、スーザン、ザンビア、南ローデシア(現ジンバブエ)を取材。7月、独立宣言をしたルワンダに滞在、10月独立宣言をしたウガンダに滞在。ウガンダで脳性マラリアに罹る

1963年、31歳の時、タンガニイカで肺炎発症、数ヶ月伏せる。12月、独立宣言をしたケニアに滞在。

1964年、32歳の時の1月、ザンジバル王国(現タンザニア)のクーデター現場に潜入。2月、ソマリア・エチオピア紛争取材。以降カメルーン、ニジェール、ナイジェリア、ダホメ(現ベナン)、トーゴ、ガーナ、ギニア、ブルキナファソ、コートジヴォワール、セネガル、マリ、モーリタニア、アルジェリア、リビアなどを取材。

この頃までにアフリカ諸国の建国の父とは数多く面識があり、コンゴのルムンバやモブツ、タンザニアのニエレレ、ジンバブエのムガベ(今も大統領だ)やンコモ、ザンビアのカウンデ、ガーナのンクルマ、ウガンダのアミンなどと会っているとか。

1965年、33歳の時、ナイジェリアのラゴスに居を移す。6月、軍事クーデターが起きた直後のアルジェリアに潜入。11月、軍事クーデターが起きたギニア、コンゴ、ダホメ(現ベナン)、ナイジェリアに滞在。

1966年、34歳の時、中央アフリカ、ガーナ、ウガンダ、トーゴ、オートボルタ(現ブルキナファソ)、ナイジェリアの軍事クーデターを取材。9月、原因不明の熱病に罹りポーランドに帰国し入院。

1998年、36歳の時、ラテンアメリカ支局特派員でチリに滞在、軍事クーデターの予兆をかぎ取り記事にしたら、内容が内容なだけにチリから国外退去命令下る。

……

生涯、銃撃されること4回、銃弾飛び交う前線に立つこと12回、革命やクーデターの目撃証人になること27回(!)、ウガンダで脳性マラリアに罹るなど重病を患うこと数回。


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