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2012/12/26

伊藤正孝「アフリカ33景」感想。
アフリカ取材エッセイ。2012年12月10日読了。

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アフリカ33景


伊藤正孝「南ア共和国の内幕 アパルトヘイトの終焉まで(増補改訂版)」感想。南アルポ。
2012年02月21日読了。10点満点

伊藤正孝「ビアフラ 飢餓で滅んだ国」感想。ビアフラ戦争ルポ。
2012年09月11日読了。10点満点


というわけで、アフリカ大好きな私が10点満点を付けた2冊の著者、伊藤正孝氏の3冊目を読む。伊藤正孝氏の本は(たぶん)8冊出版されているが、全て絶版である。ので、今回もamazonから古本で買った。

伊藤正孝氏は1936年生まれ、1960年朝日新聞社入社。69年ビアフラ内戦取材。77-80年ダルエスサラーム(現タンザニア)特派員、80-81年カイロ(エジプト)特派員。

本書は、アフリカ特派員時代の取材時に見聞きしたエピソード33編をまとめた本。


最初のエピソードは、1965年に48歳でエチオピアのアジスアベバに住み着いた画家水野氏と、著者の出会い。最初に出会ったのは1969年。その後の1974年、エチオピアでクーデターが起きたとき、著者は水野氏宅に寄宿し、クーデターの行く末を見守っていた。クーデターにより水野氏の絵はまったく売れなくなり、水野氏はモデルの女性宅に引き取られていった。

次。1978年、アフリカ統一機構(OAU)の首脳会議がスーダンの首都ハルツームで開催された。会議場は中国が500万スーダンポンド(当時で25億円)出して作られた物だそうだ。35年も前から、中国はアフリカに進出していたのだなあ。その話の一環として歴史的事実が記載されていて、1963年にアフリカの32カ国の首脳がアジスアベバに集まり、OAU憲章に署名した。そのうち、本書出版時の1982年で、21人の首脳がクーデターで倒された。後記には更に3人クーデターで倒されたとあるから、32人中24人がクーデターで失脚している。アフリカ恐るべし。そのうち機会を見つけて、32人全てのその後を調べてみよう。

次。ウガンダでアミン大統領が権力を握っていたとき、タンザニア軍がウガンダ領に入り込み、取材は困難を極めた。ケニアからビクトリア湖を渡りウガンダ上陸を計ったスウェーデンと西ドイツの記者4人が殺されたそうだ。

次。ケニアでライオンの保護活動をしているアダムソン夫人。彼女はライオンや野生動物の水場を確保するため、ケニアに住む遊牧民の水場への立ち入りを制限した。動物を見るため外国人観光客が訪れるので、ケニア政府は不利益を被っている遊牧民のこと無視。そのアダムソン夫人は1980年に現地人に殺された。

次。シュバイツァー博士は変人だった。

次。アフリカ人と結婚している日本人女性はどこにでも居る。ガボンの首都リーブルビルの市長夫人は日本人である。えっ!


等々、興味深いエピソードが尽きない。


この著者の残りの本も全て手に入れよう。とても面白い。


9点/10点満点

※次回更新は3日後の29日。以降1日おきに連続アップします。

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