サイモン・シン/青木薫訳「フェルマーの最終定理」感想。
数学ノンフィクション。2015年06月11日読了。
本書は10点満点。
私の人生オールタイムベスト10に入る。
中学生で習うピタゴラスの定理。
32 + 42 = 52
52 + 122 = 132
の数式は、中学数学を学んだ者なら誰もが一度は覚えたはずである。
本書で扱う
フェルマーの最終定理とは、
3 以上の自然数 n について、xn + yn = zn となる 0 でない自然数 (x, y, z) の組が存在しない、という定理である。
1600年代半ばにフランスの数学者フェルマーは、古代ギリシャの「算術」という数学書の余白に、関連した着想や新しい定理を書き込んでいた。
フェルマーの最終定理も、「算術」の余白に記されていたが、余白が足りなかったためフェルマーはその証明を省略していた。
一見、とても簡単そうに思えるこの定理は、数千人の数学者がその証明に挑戦したが、誰も証明できなかった。
この定理が提唱されてから360年後、イギリスの数学者アンドリュー・ワイルズが、(数学者として適度に論文を発表しつつ、誰にも内緒で黙々と取り組むこと)7年かけて、1993年に証明したと発表、1995年に証明が認められた。
本書は、アンドリュー・ワイルズが証明するまでのノンフィクションである。
文句なしに面白い。翻訳も含めて、何もかもが素晴らしい。
数学の知識は多少必要だが、高校1年生くらいの知識があればじゅうぶん読むことができる。
このような素晴らしい本を今まで知らなかったとは痛恨の極み。(Amazonのレコメンド機能で本書が表示され、評価があまりにも良いので買った。Amazonやるじゃん)
10点/10点満点
※以下、ネタバレにつき、これからこの本を読まれる方はすっ飛ばして下さい。
※面白い素数
31
331
3331
33331
333331
3333331
33333331
は全部素数、だけど、
333333331=17×19607843 なので素数ではない
※円周率(ライプニッツの公式。インドの数学者が15世紀に発見)
π=4(1/1-1/3+1/5-1/7+1/9-1/11……)
※天秤を使って1~40kgまで計るのに、何個の分銅が必要か
1kg、3kg、9kg、27kgの4個。
※フェルマーの素数定理
3以上の素数はすべて、
4n+1
4n-1
で表せる。
前者は必ず x2 + y2 = その素数、となる。(そうなの?ホントに?)
※フェルマーの最終定理の証明過程
・1640年、n=4 はフェルマー自身が証明
・1749年、オイラーがフェルマーの素数定理を証明
・1753年、n=3 について、オイラーが証明
・1800年頃、n=5 について、ソフィ・ジェルマンが証明(但しジェルマンは女性であったため、生前は正当な評価を得ることはなかった。)
・1832-1840年、n=14、つまりn=7 について、ディリクレ、ラメ、ルベーグ、コーシーらが証明
・1847年、ラメとコーシーが争うように「フェルマーの最終定理の証明は間近」と学会で発表したのに対しクンマーが、虚数を考慮するとその証明は成り立たないと指摘
・クンマーは、現在(1847年頃の)数学テクニックではフェルマーの最終定理は証明できない、ことを証明した。
クンマーの解析によると、フェルマーの最終定理を証明するのに障害となるのは、nが非正規素数の場合であること、そして100以下の非正規素数は37、59、67だけであることを示した。
・nは無限大(かつxyzも無限大)なので、nを個別に手計算で証明することの大変さに比べて、第二次世界大戦で(ドイツの暗号エニグマを解いた)コンピュータが登場し、手計算があまり意味をなさなくなったこともあり、以降、個別証明は衰退
・1953年生まれのアンドリュー・ワイルズは、幼い頃からフェルマーの最終定理に魅了されていた。
・1975年、大学院生になったアンドリュー・ワイルズは、楕円曲線(楕円方程式)に関する研究を指導教官ジョン・コーツから勧められる。
・x2 = y3 - 2
は楕円方程式で、この整数解はただ1組だけである。52 = 33 - 2
これを証明したのがフェルマーである。
・ワイルズは楕円方程式の整数解を求めるのに、5進数や7進数を使った。5進数はE5、7進数はE7と表す。(本書ではE系列という書き方をしている)
・遡ること、1955年。日本の志村五郎と谷山豊は、「すべての有理数体上に定義された楕円曲線はモジュラーであろう」という、谷山志村予想を日光の国際シンポジウムで発表する。(本書ではモジュラーをM系列という書き方をしている)
・ここでいう予想とは、数学的に証明はされていないが、たぶん正しいであろうと思われること。定理は数学的に証明がされたこと。数学的に証明されるまでは、十中八九間違いないと思われることであっても、あくまで「予想」である。
・モジュラーは、それ自体が超高等数学(数学科の大学院生でも理解できるか否かのレベル)で、その概念を理解することすら難しい。
・数学的には、楕円とモジュラーは別領域と思われていたが、谷山志村予想が徐々に広まり、「谷山志村予想が成り立つと仮定すれば、××も成り立つ」という派生論文が世界中で数百も出る。
・1984年、ゲルハルト・フライは、「谷山志村予想」が証明されれば、そのまま「フェルマーの最終定理」の証明につながる。という歪な楕円方程式を提示。
・ということで、アンドリュー・ワイルズは「谷山志村予想」の証明に取り組む。
・1811年生まれのフランスの天才数学者にして革命家のエヴァリスト・ガロアは、5次方程式の解を見つけようとするなかで、弱冠20歳にして群論を生み出す。だがガロアは21歳で、女を取った取られたの決闘で負けて死ぬ。
・1988年、日本人数学者宮岡洋一が、フェルマーの最終定理を証明したと発表するも、その後の検証で証明に不備があった。宮岡は、微分幾何学というアプローチで証明しようとしていた。
・ワイルズは、フェルマーの最終定理の証明に取り組んでからの3年で、ガロア群を楕円方程式に応用し、楕円方程式を無限の要素に分解して、すべての楕円方程式の最初の要素はモジュラーだということを証明した。
・その後ワイルズは1年かけて、楕円方程式を分析するための手段である岩沢理論を研究した。岩沢理論を拡張すれば、ドミノ倒しのようにフェルマーの最終定理の証明に至るのではないかと考えた。しかし、その手法には失敗した。
・かつての指導者コーツから、コリヴァギン=フラッハ法という楕円方程式に関する論文を知る。
・それまでワイルズは「フェルマーの最終定理」の証明を試みていることを誰にも内緒にしていたが、数学者ニック・カッツに打ち明け、コリヴァギン=フラッハ法をもっと突き詰めるための大学院生向け講座を開いた。大学院生向けの講座というのは隠れ蓑で、ワイルズ自身がコリヴァギン=フラッハ法を勉強するための講座で、最終的に聴講生はニック・カッツ一人になってしまった。
・ワイルズは、コリヴァギン=フラッハ法を使って「谷山志村予想」を証明することを達成した。それはつまり、「フェルマーの最終定理」の証明につながった。7年かけたこの成果を、1993年6月に、ケンブリッジで披露した。
・大喝采に包まれたが、コリヴァギン=フラッハ法に穴があることが分かり、ワイルズは欠陥の修正を行うことになった。
・欠陥の修正は想像以上に困難な作業で、ワイルズは諦めかけた。が、不完全だった岩沢理論と、不完全だったコリヴァギン=フラッハ法を両方を組み合わせれば完全になると気付いた。
・そして遂に、欠陥を修正した最終証明が発表され、他の数学者の検証を経て、証明は完全であると認められた。
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