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2007年5月に出版された本。最近このテー-マ(移植医療)に興味があるので、新しい本ではないが読んでみた。
本書が出版される前年に、愛媛県宇和島徳州会病院を舞台にした腎臓売買事件が発生し、それがきっかけで万波誠医師による病気腎移植問題が発覚した。病気腎移植のニュースを初めて見たとき、「この医者はなんちゅう無茶苦茶なことをするんだ」と思ったが、よく考えてみれば、週に3回も血液透析をしなければならない深刻な腎臓病患者にしてみれば、それが病気腎であったとしても、機能する腎臓が手に入るのは救いなのだろう、と考えるに至ったが、世間的には賛否両論のようである。
さて本書。
1957年に東大医学部を卒業し、そのまま東大病院で勤務、1970年に東京女子医大に移り、腎臓移植を含めた日本の移植医療の開拓と普及に邁進した外科医、太田和夫。
本書は、移植医療に取り組む太田の歩みを軸に、太田に協力する医師、移植を望む患者達の話と、太田が作り出す本流とは別に、地方でも移植医療が出来ると取り組む万波誠らの四国中国のグループの話、そして世界的な移植医療の変遷、で構成されている。
1963年に雑誌に掲載されたボストンでの腎移植成功(移植後1年以上生存)の臨床報告を読み、太田は日本での腎移植を模索し始め、1970年までに30例の腎移植を試みる。
1970年、腎臓病の総合診療を行える環境、すなわち腎臓専門の内科泌尿器科外科さらには精神科も併設した総合腎臓病センターの設立を目指し、太田は東京女子医大へ移る。
同時期、京浜倉庫を経営していた大林の娘が腎移植をするためアメリカに渡る。大林は会社を経営している金持ちであり、娘を直すためなら費用は惜しまなかった。しかし適合するドナーが現れず、母親の腎臓を生体移植する。
太田は、受け入れてくれた女子医大の教授榊原のサポートもあり、血液透析を行うのに医者が人工腎臓を全部順部するのはたいへんだから、機械に強くかつ医療に携わりたい人たちを臨床工学技士として採用し(後に国家資格になる)、最終的には「人工腎臓センター」として大学に認められ、正式な組織となっていった。
大林は、娘のために死体腎(献体)をもっと増やしたい移植医療へ貢献したい、という思いから、自腹で「腎臓移植普及会」を作り、ドナーとなる死体腎への理解と賛同をつのる。
東京で腎移植を進める太田とは別に、四国でも腎移植を進めるグループが存在した。
死体腎が出ても、適合性が悪ければ移植できない。死体腎が出た際に適合性を見ながら腎臓を融通しあう「死体腎移植ネットワーク」が作られることになる。このネットワークは、大林の「腎移植普及会」の事務所に軒先を借り運営されていた。
時を経て、脳死を人の死とし臓器移植を法制化するにあたり、厚生省は死体から臓器を効率よく融通するための組織を作らなければならなかったが、予算がないため大林が作った「腎臓移植普及会」を利用することにした。これが後の「臓器移植ネットワーク」である。大林達は、「臓器移植ネットワーク」の理事に移植医を入れることを拒否した。
腎移植を中心に日本の移植医療は進んでいく。本書はその過程を書いたノンフィクションであるが、基本的には太田を中心に移植医療に関わる医者の生き様を書いたヒューマンドラマである。ドラマの中に、移植医療に関する問題点の解説が入ってくる。
ヒューマンドラマとしての部分が良くできているので、先へ先へと読みたくなる。読み進むにつれ、腎臓移植にはこのような問題点があったのか、脳死移植がさっぱり進まない一因はここにあるのか、など知的好奇心を満たすこともでき、とても良い本だと思う。
ちょっとだけ点が辛いのは、大林がなぜ日本の移植医にあまり良い印象を抱いていないのか、そこが書き切れていないから。
8点/10点満点
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