カテゴリー「☆私的10点満点」の記事

2017/01/17

墓田桂「難民問題 イスラム圏の動揺、EUの苦悩、日本の課題」感想。
国際情勢分析。2016年11月11日読了。

2016年2冊目の10点満点

◆内容(Amazonより)
2015年9月、トルコ海岸に漂着した幼児の遺体は世界に衝撃を与えた。
シリアなどイスラム圏出身の難民を受け入れる輪が、ドイツを中心に広がる。
だが11月のパリ同時多発テロをはじめ、欧州各国で難民と関係した事件が相次いで発生。
摩擦は激化し、EU離脱を決めた16年6月のイギリス国民投票にも影響した。
紛争や弾圧に苦しむ難民を見過ごして良いのか、しかし受け入れる余裕はない――欧州の苦悩から日本は何を学ぶか。

【目次】
第1章 難民とは何か
1 歴史のなかで
2 保護制度の確立へ
3 21世紀初頭の動向

第2章 揺れ動くイスラム圏
1 アフガニスタンからの連鎖
2 「アラブの春」以降の混乱
3 脅威に直面する人々
4 流入に直面する国々

第3章 苦悩するEU
1 欧州を目指す人々
2 限界に向かう難民の理想郷
3 噴出した問題
4 晴れそうにない欧州の憂鬱
5 問題の新たな展開

第4章 慎重な日本
1 難民政策の実情
2 シリア危機と日本
3 関連する課題と今後の展望

第5章 漂流する世界
1 21世紀、動揺する国家
2 国連の希薄化、国家の復権

終 章 解決の限界


◆感想
読み終わった後Amazonレビューを見たら、けっこう評価が分かれている。総合では★4つだけど、★1つや★2つの評価もある。

私は10点満点をつけた(Amazon基準だと★5つ)。

難民という概念はどこから始まったのか。本書では紀元70年のユダヤ戦争(ローマ帝国vsユダヤ)から説明を始めている。

第一次世界大戦後に、国際赤十字委員会(ICRC)からの要請で国際連盟が難民を保護する活動を開始。国際連盟が国際連合に代わり、現在の国連難民高等弁務官へと発展し、パレスチナ難民への対処が本格的な第一歩となる。

現在のシリアにつながるイスラム圏の動乱に関しては、ソ連のアフガニスタン侵攻(1979年)が端緒であったとし、そこからシリアまで一気に話を持っていく。

イスラム系の難民がなぜEUに行きたがるのか。EUはなぜ大勢の難民を受け入れたのか。EU加盟国間で意思にずれがあるのはなぜか。

そしてそれらを鑑み、日本の過去がどうであったのか(ベトナム戦争のボートピープル)、現在の対応はどうなのか、未来はどうすべきなのか。

これらを新書の枠の中で、削るべきところはばっさり削り、難しすぎず易しすぎない、著者の主張したいところはきちんと主張する。

この手の本を何冊か読んでいる私にとって、復習を兼ねながら新しい知識を得られる、実にちょうど良い本であった。

素晴らしい。


10点/10点満点


のだが、この本を読んだ後の2016年末に、NHK-BS世界のドキュメンタリー「オーストラリア 難民“絶望”収容所」を見たら、ちょっと印象が変わってしまった。

オーストラリア(豪州)は、現在世界で最も過激な難民排除政策をとっている。Newsweekの関連記事

例えばミャンマーのロヒンギャ族(仏教国ミャンマーのイスラム教徒・少数派・アウンサンスーチー政権下でも軍や警察に弾圧されている)が船にすし詰めになってオーストラリアに来る。オーストラリアは難民受け入れを拒絶し、パプアニューギニアのマヌス島または太平洋の島国ナウルに設置した難民センターに強制収容している(両国にはオーストラリア政府から数十億円の金が払われている)。難民の選択肢は自国へ戻るか、難民受け入れ提携をしたカンボジアに移住するかの二択(カンボジアも大金を受け取っている)。拒否すれば難民センターにただ居るだけ。仕事もなく、食事や医療も満足とはいえない環境で、難民の子供に教育すら受けさせない。難民は、いつ難民センターを出られるか分からない(二択を拒否したから)。自分の前途に絶望した難民が自殺しても、オーストラリア政府は対策を取らない。

難民センターで働く職員やボランティアは、難民センターで見聞きしたことを一切口外してはならない。口外すると禁固2年の実刑判決を受ける。このドキュメンタリーは、口外すると実刑判決、という法改正がなされる前に隠し撮りされたものである。

このことについて本書ではp224で軽く触れられているが、オーストラリア政府は億円単位の金を使ってまで難民をどうにかしようと思っている(但し自国には入国させない)という見方もある。難民問題のオフショア化(≒アウトソーシング)とのこと。それは確かにそうだな。

難民問題は難しい。なので10点満点の評価は変更なし。

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2016/03/06

サイモン・シン/青木薫訳「暗号解読(下)」感想。
ノンフィクション。2016年01月16日読了。


インターネットの「公開鍵」と「暗号鍵」の意味が分からない人へ。


本書を読めばその理論が全て分かる。ベリサインの存在理由も全て分かる。


私は今までインターネット公開鍵の意味をよく理解できなかったが、


本書を読めば完璧に理解できた!


プログラマは本書を絶対に読め! というくらいの名著。素晴らしい。脱帽。


原著サイモン・シン、翻訳青木薫 の組み合わせは名著ばかりだ。


10点/10点満点

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2015/07/29

サイモン・シン/青木薫訳「フェルマーの最終定理」感想。
数学ノンフィクション。2015年06月11日読了。


本書は10点満点。

私の人生オールタイムベスト10に入る。


中学生で習うピタゴラスの定理

32 + 42 = 52
52 + 122 = 132

の数式は、中学数学を学んだ者なら誰もが一度は覚えたはずである。


本書で扱う
フェルマーの最終定理
とは、

3 以上の自然数 n について、xn + yn = zn となる 0 でない自然数 (x, y, z) の組が存在しない、という定理である。

1600年代半ばにフランスの数学者フェルマーは、古代ギリシャの「算術」という数学書の余白に、関連した着想や新しい定理を書き込んでいた。

フェルマーの最終定理も、「算術」の余白に記されていたが、余白が足りなかったためフェルマーはその証明を省略していた。


一見、とても簡単そうに思えるこの定理は、数千人の数学者がその証明に挑戦したが、誰も証明できなかった。


この定理が提唱されてから360年後、イギリスの数学者アンドリュー・ワイルズが、(数学者として適度に論文を発表しつつ、誰にも内緒で黙々と取り組むこと)7年かけて、1993年に証明したと発表、1995年に証明が認められた。


本書は、アンドリュー・ワイルズが証明するまでのノンフィクションである。


文句なしに面白い。翻訳も含めて、何もかもが素晴らしい。


数学の知識は多少必要だが、高校1年生くらいの知識があればじゅうぶん読むことができる。


このような素晴らしい本を今まで知らなかったとは痛恨の極み。(Amazonのレコメンド機能で本書が表示され、評価があまりにも良いので買った。Amazonやるじゃん)


10点/10点満点


※以下、ネタバレにつき、これからこの本を読まれる方はすっ飛ばして下さい。


※面白い素数
31
331
3331
33331
333331
3333331
33333331
は全部素数、だけど、
333333331=17×19607843 なので素数ではない


※円周率(ライプニッツの公式。インドの数学者が15世紀に発見)

π=4(1/1-1/3+1/5-1/7+1/9-1/11……)


※天秤を使って1~40kgまで計るのに、何個の分銅が必要か

1kg、3kg、9kg、27kgの4個。


フェルマーの素数定理

3以上の素数はすべて、
4n+1
4n-1
で表せる。

前者は必ず x2 + y2 = その素数、となる。(そうなの?ホントに?)

※フェルマーの最終定理の証明過程

・1640年、n=4 はフェルマー自身が証明

・1749年、オイラーがフェルマーの素数定理を証明

・1753年、n=3 について、オイラーが証明

・1800年頃、n=5 について、ソフィ・ジェルマンが証明(但しジェルマンは女性であったため、生前は正当な評価を得ることはなかった。)

・1832-1840年、n=14、つまりn=7 について、ディリクレ、ラメ、ルベーグ、コーシーらが証明

・1847年、ラメとコーシーが争うように「フェルマーの最終定理の証明は間近」と学会で発表したのに対しクンマーが、虚数を考慮するとその証明は成り立たないと指摘

・クンマーは、現在(1847年頃の)数学テクニックではフェルマーの最終定理は証明できない、ことを証明した。

クンマーの解析によると、フェルマーの最終定理を証明するのに障害となるのは、nが非正規素数の場合であること、そして100以下の非正規素数は37、59、67だけであることを示した。

・nは無限大(かつxyzも無限大)なので、nを個別に手計算で証明することの大変さに比べて、第二次世界大戦で(ドイツの暗号エニグマを解いた)コンピュータが登場し、手計算があまり意味をなさなくなったこともあり、以降、個別証明は衰退

・1953年生まれのアンドリュー・ワイルズは、幼い頃からフェルマーの最終定理に魅了されていた。

・1975年、大学院生になったアンドリュー・ワイルズは、楕円曲線(楕円方程式)に関する研究を指導教官ジョン・コーツから勧められる。

・x2 = y3 - 2
は楕円方程式で、この整数解はただ1組だけである。52 = 33 - 2

これを証明したのがフェルマーである。

・ワイルズは楕円方程式の整数解を求めるのに、5進数や7進数を使った。5進数はE5、7進数はE7と表す。(本書ではE系列という書き方をしている)

・遡ること、1955年。日本の志村五郎と谷山豊は、「すべての有理数体上に定義された楕円曲線はモジュラーであろう」という、谷山志村予想を日光の国際シンポジウムで発表する。(本書ではモジュラーをM系列という書き方をしている)

・ここでいう予想とは、数学的に証明はされていないが、たぶん正しいであろうと思われること。定理は数学的に証明がされたこと。数学的に証明されるまでは、十中八九間違いないと思われることであっても、あくまで「予想」である。

・モジュラーは、それ自体が超高等数学(数学科の大学院生でも理解できるか否かのレベル)で、その概念を理解することすら難しい。

・数学的には、楕円とモジュラーは別領域と思われていたが、谷山志村予想が徐々に広まり、「谷山志村予想が成り立つと仮定すれば、××も成り立つ」という派生論文が世界中で数百も出る。

・1984年、ゲルハルト・フライは、「谷山志村予想」が証明されれば、そのまま「フェルマーの最終定理」の証明につながる。という歪な楕円方程式を提示。

・ということで、アンドリュー・ワイルズは「谷山志村予想」の証明に取り組む。

・1811年生まれのフランスの天才数学者にして革命家のエヴァリスト・ガロアは、5次方程式の解を見つけようとするなかで、弱冠20歳にして群論を生み出す。だがガロアは21歳で、女を取った取られたの決闘で負けて死ぬ。

・1988年、日本人数学者宮岡洋一が、フェルマーの最終定理を証明したと発表するも、その後の検証で証明に不備があった。宮岡は、微分幾何学というアプローチで証明しようとしていた。

・ワイルズは、フェルマーの最終定理の証明に取り組んでからの3年で、ガロア群を楕円方程式に応用し、楕円方程式を無限の要素に分解して、すべての楕円方程式の最初の要素はモジュラーだということを証明した。

・その後ワイルズは1年かけて、楕円方程式を分析するための手段である岩沢理論を研究した。岩沢理論を拡張すれば、ドミノ倒しのようにフェルマーの最終定理の証明に至るのではないかと考えた。しかし、その手法には失敗した。

・かつての指導者コーツから、コリヴァギン=フラッハ法という楕円方程式に関する論文を知る。

・それまでワイルズは「フェルマーの最終定理」の証明を試みていることを誰にも内緒にしていたが、数学者ニック・カッツに打ち明け、コリヴァギン=フラッハ法をもっと突き詰めるための大学院生向け講座を開いた。大学院生向けの講座というのは隠れ蓑で、ワイルズ自身がコリヴァギン=フラッハ法を勉強するための講座で、最終的に聴講生はニック・カッツ一人になってしまった。

・ワイルズは、コリヴァギン=フラッハ法を使って「谷山志村予想」を証明することを達成した。それはつまり、「フェルマーの最終定理」の証明につながった。7年かけたこの成果を、1993年6月に、ケンブリッジで披露した。

・大喝采に包まれたが、コリヴァギン=フラッハ法に穴があることが分かり、ワイルズは欠陥の修正を行うことになった。

・欠陥の修正は想像以上に困難な作業で、ワイルズは諦めかけた。が、不完全だった岩沢理論と、不完全だったコリヴァギン=フラッハ法を両方を組み合わせれば完全になると気付いた。

・そして遂に、欠陥を修正した最終証明が発表され、他の数学者の検証を経て、証明は完全であると認められた。

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2015/06/08

岩崎育夫「アジアの国家史」感想。
アジア史。2015年03月05日読了。


何度かこのブログに書いていますが、私は工業高専出身なので、高校レベルの歴史を知りません。(私が在学していた頃<約30年前>の工業高専・電子工学科では、中卒直後の1年生からプログラム授業や電子回路工作実習が30%くらいを占めており、一般教養はとても少なかったのです)

小学生の頃からジュブナイル小説を読んでいた(小学生なのに普通のSF小説を読んでいた)ので、文章とふれあうのは好きだったけど、工業高専は徹底して数式の学校でした。高専3年~4年の頃には、手計算でフーリエ変換を行い、オーディオのグラフィックイコライザーの原理を知ったのです。まあこんな話はどうでもいいか。

私が高専を卒業する頃、世の中はバブル経済の真っ最中で、高専の求人倍率は5倍を超え、私は教授の薦めでNECの子会社に入社しました。ところがそのNECの子会社は、課長以上がすべてNEC本社で使えない奴と判断された無能の姥捨て会社で、もう、なんというか。NECの子会社なのに、NECの福利厚生はほとんど利用できないという姥捨て会社でした。(この辺りを書き出すときりがないので以下割愛)


で、SF小説ばかり読んでいた私は、私は25歳頃から冒険小説を読み出し、例えば船戸与一の「砂のクロニクル」1991年初版を読んで、なるほどこれはすごく面白い小説だ!と単純に感心してましたが、こういう小説を何十冊も読むうち、こういう小説はどこまで史実、現実に基づいているのだろう?と疑問に思うようになりました。

ここから嵩じて、私は今現在地球上で起きている紛争に興味を持つようになり、ひいては歴史(特に現代史)に興味を持つようになったのです。


で、本書。の前に。

「東南アジア」というのは、第二次世界大戦後に生まれた概念である。ということを、2009年に入学した法政大学通信教育課程 文学部 地理学科 の授業で知り、その副読本

白石隆「海の帝国―アジアをどう考えるか」2013年01月10日読了。7点(難しかった)

を読み、なるほどそういう経緯があったのか、と得心したのです。他に

鶴見良行「海道の社会史」2014年05月14日読了。7点

からも多大な知識を得られました。


で、本書。

私が色んな本から中途半端に歴史を学んでいる、その隙間を埋めるような、私に足りなかった知識を記した本。それが本書でした。

p140-141(植民地国家の時代「日本」の項より抜粋)

「(前略)蝦夷(北海道)では、一五世紀ごろに独自の民族文化を持ったアイヌ社会が形成されたが、江戸時代になると北海道南部の松前藩の実質的支配下に置かれた。そして、沖縄より一〇年早い一八六九年に、日本は統治下に組み入れ北海道と改称したのである。

 この後、日本の東アジアへの進出が本格化していった。一八七四年に日本の領土と主張する琉球(沖縄)の漁民が、清王朝領土の台湾で殺害されたことを理由に台湾に出兵し、翌一八七五年には、日本の軍艦が李氏朝鮮王朝の江華島を占拠し(江華島事件)、鎖国政策を採っていた李氏朝鮮王朝に圧力をかけて開国させ、自由貿易の特権を得た。一八九四年に李氏朝鮮王朝で農民氾濫が発生すると、清王朝と日本がともに軍隊を派遣したことから日清戦争が勃発したが、これは、これまで朝鮮半島に対して宗主権を行使してきた中国と、新支配者になろうとする日本による朝鮮半島の争奪戦を意味した。太平天国の乱などで弱体化し、かつ近代化改革に後れをとった清王朝は新興国の日本の敗れると、一八九五年の日清講和条約で李氏朝鮮王朝に対する宗主権の消滅を認め、台湾を日本に割譲したのである(台湾の植民地化)」


えっ?
そうなんですか?

この短い引用だけでも、今まで知らなかったことがたくさん詰まっている。


もしかしたら普通高校に進学していたら当たり前の知識なのかも知れないが、私には斬新だった。

このような話が満載である本書は、故に私的には10点満点なのであります。


10点/10点満点

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2015/02/08

国枝昌樹「報道されない中東の真実 動乱のシリア・アラブ世界の地殻変動」感想。
中東政治解説。2014年12月14日読了。


私的10点満点の本。


著者は1946年生まれ、一橋を出て1970年外務省入省。1978年在エジプト日本大使館一等書記官、在イラク日本大使館参事官、在ヨルダン日本大使館参事官、ジュネーブ軍縮会議日本代表公使、在ベルギー日本大使館公使、在ベトナム・ホーチミン市総領事を経て、2002年在カメルーン(兼チャド兼中央アフリカ)特命全権大使、2006年在シリア特命全権大使、2010年に退官した方。

30年以上、日本の中東外交に携わってきた方である。

チュニジアのジャスミン革命(2010-2011年)でベンアリ政権を倒したことから始まったアラブの春(2010-2012-現在)は、すぐにエジプトに飛び火しムバラクを失墜させ、しかし(日本ではあまり報道されていないが)バーレーンではデモを行った市民に対し国軍が発砲し政府側が勝ち、リビアではカダフィ大佐が自国民に対し空爆を行いそれはあまりに酷いとNATOがリビアの制空権を奪ってカダフィ大佐は殺され、シリアでも同様にアサド大統領が自国民に空爆をしたが世界は無反応、イエメンでもサレハ大統領が退陣に追い込まれた。


リビアはカダフィ大佐が自国民を空爆し、NATOが介入した。

シリアはアサド大統領が自国民を空爆したが、どの国も介入に及び腰(ロシアがアサド大統領を支援)。

※リビアは石油埋蔵量世界第9位

その結果、シリアではいまだに続く長い長い内戦に陥っている。

本書は、シリア政府側の悪行に関しては欧米諸国のマスメディアが色々と伝えているので、それについての詳述は割愛し、

シリア政府側の言い分を聞いてみよう。そして、今シリアで何が起きているのか紹介しよう。

という本。


在シリア日本国大使館特命全権大使だった著者は、ジャーナリストでは接触することすらできないようなシリア政府高官とのコネクションもあり、内容の信頼度は高い。著者の来歴から、シリア政府側に共感している部分があると思われるが、それはさておき、本書は面白い。知らなかったことが山ほど出てくる。

シリアでは政権政党バアス党(アサド大統領)とムスリム同胞団が、長年にわたって抗争を繰り広げていた。1982年、先代アサド大統領(現大統領の父)が、ハマー市で武装蜂起したムスリム同胞団を殲滅した(ハマー虐殺)。

2011年2月、現アサド大統領は、米国の圧力もありインターネットを解禁した(私が2010年にシリアに行ったとき、ネットカフェに入るにはパスポートが必要で、基本全て検閲されていた)。

解禁したと同時に、ハマー虐殺を逃れスウェーデンに移住したシリア人が、現アサド大統領に対する蜂起を呼びかけるサイトを立ち上げ、シリア中からアクセスされた。

3月に入り、ヨルダン国境近くの町ダアラでもデモがが発生。軽い気持ちで参加した中学生13人が壁に落書きしたところ、治安当局が連れ去り、行方が分からなくなってしまった。18日、中学生の安否を心配する市民数千人が治安当局などに対しデモを行い、この最中4人の市民が死亡した。この死亡事件はシリア中に報道され、首都ダマスカスと第二の都市アレッポを除く全ての町で、政権交代を要求するデモが巻き起こった。

ここから、シリアは一気に血で血を争う内戦に陥っていく。

市民4人に葬儀には大統領名代が弔問吏が派遣され、中学生はその後解放された。

23日、政府系報道機関は、治安部隊と医療部隊が武装グループに襲われ死者が出た斗発表したが、国際社会は一切見向きもしなかった。

そして、この頃の欧米諸国の報道機関は、「アラブの春」に呼応して、遂にシリアでも民衆が立ち上がった」、的な内容の報道に終始した。

シリア政府側のウムラン・ズアビ情報大臣によると、「民衆が子どもたちの解放を求めてデモに出たのは表向きの口実で、彼ら(デモ隊)の背後にはカタールに在住するムスリム同胞団の導師からダアラ市内の導師に、デモ煽動の資金提供を申し出るような電話があった」

※カタールはスンナ派の分派、ワッハーブ派(イスラム教を忠実に守ろうとする原理主義)。
※アサド大統領率いるバアス党はシーア派の分派、アラウィー派(シーア派の中でも異端)。
※アラウィー派に似た言葉で、サラフィーというのがあるが、これはサラフィー主義(スンナ派の中でも厳格なイスラム)のことで、ワッハーブ派はここから生まれた。
※さらに似たような言葉で、スーフィー(スーフィズム)というのもある。


というような感じで、国際社会がほとんど取り上げない情報が数多く載っており、とても面白い。


現アサド大統領は元もと眼科医で、イギリスに留学していた。父アサド大統領のような強権独裁的なやり方を続けていては国際社会に相手にされなくなるとの危機感から、徐々にではあったが欧米諸国が好むような国づくりを目指そうとしていた。

しかし、「アラブの春」は待ったなしで襲ってきた。現アサド政権側(シリアでも少数派のアラウィー派)にとっての落としどころがないまま、アサド政権およびアラウィー派で政府の要職に就いている者を全て追い落とす反政府勢力の勢いと、それを後押しするスンナ派の資金源。


というようなことが書かれているので、現在のシリア情勢を知りたい人は一読をお勧めする。


10点/10点満点

ちなみに、在○○国日本国大使館で国家公務員がどんな働きをしているかをさっくり軽く知りたい場合は、北ベトナムと南ベトナムが戦争してサイゴン陥落が起きたときに在ラオス日本大使館参事官の娘としてラオスで暮らしていたマンガ家、西山優里子の「ジャポニカの歩き方」を読むといいです。

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2014/12/30

早坂隆「祖父の戦争」感想。
徴兵記。2014年11月27日読了。


私的10点満点の本。


著者の早坂隆氏の本は、
早坂隆「世界の日本人ジョーク集」2006年10月03日読了。8点
早坂隆「世界の紛争地ジョーク集」2006年10月11日読了。4点
早坂隆「ルーマニア・マンホール生活者たちの記録」2006年10月21日読了。7点
早坂隆「世界反米ジョーク集」2006年10月25日読了。6点

を読んでいる。全部2006年の10月に読んでいる。理由はよく覚えていないが、マイブームだったのだろう。本書は2005年8月に出版されている。なので、マイブームの流れの中で買った本だと思う。

だがマイブームが突如過ぎ去ってしまったらしく、本書は8年間積ん読だった(実のところ積ん読になった経緯はよく覚えていない)


本書は、癌で余命わずかとなった著者早坂隆氏の祖父の徴兵体験を、ジャーナリストとして一本立ちしようとしている著者が祖父にインタビューし、それを時系列に再構成したもの。

著者の祖父は第二次世界大戦に徴兵され、昭和18年に戦地(中国・えん州→たぶんここ)に出征し、討伐戦に出ることはあったものの、自身が大けがを負うことなく終戦を迎え、シベリア送りにならず、天津から博多へと帰国した。


本書で特筆すべき点は、著者の祖父が、東大卒(東京帝国大学文化乙類)のインテリだったことである。


東大卒のインテリが、学のない野蛮な上意下達の徴兵システムに組み込まれ、知識は役にたたず、暴力の渦に巻き込まれた。


著者の祖父は第二次世界大戦に巻き込まれた。だから、それ以前に起きた戦争である日露戦争や第一次世界大戦の経緯は知っている。しかし、国家が否応なく戦争に巻き込んだ。知力ではなく暴力の世界に巻き込んだ。それが故、著者の祖父は、戦争で体験したことを家族にも話さなかった。


著者の祖父は癌で弱っていて、かわいい孫がジャーナリストとして一本立ちする手助けになるのならば、という思い(もあったのだろう)で自身の戦争体験を著者に語った。


こういう本は探せばたくさん出てくるのだろうが、私は今までこういう本を読んだことがなかった。素晴らしい本だと感じた。


10点/10点満点

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2014/07/19

船尾修「循環と共存の森から 狩猟採集民ムブティ・ピグミーの知恵」感想。
文化人類学的ルポ。2014年06月13日読了。

私は船尾修氏の著作が好きです。世間的には無名に近いのですが、私は右サイドバーにカテゴリーを作ってしまうくらい、船尾氏の著作が好きです。

本書は2006年に出版された本で、出版されてから1年以内に買っているはずです。買った当時は船尾氏贔屓だったので、ただ単に買っただけ(船尾氏を応援するためには、本を定価で買うのがいちばん)。本書は、そのタイトルが物語るようにアフリカの狩猟民族ピグミーをテーマにした研究書(のようなもも)です。私はアフリカ好きだったけど、なぜかずっと読まないまま、積ん読本と化していきました。積ん読本解消のため手に取った本書は、それはそれは素晴らしい内容で、船尾氏贔屓なことを差し置いても、10点満点な内容でした。


内容(amazonより)
イトゥリの森でわたしはムブティに教えられた。生と死はつながっており、自分は他者であり他者は自分であり、「食べること」とは死の累積を享受することなのだと。有限な森の恵みを、蕩尽しないように狩り、採集する生活。平等な分配システム。自己の生命が他の生きものの死によって育まれることへの畏敬の念。グローバリゼーションをしなやかに生き抜く独特の世界観。狩猟採集民の暮らしは、現代日本に生きるわたしたちに多くの示唆を与えてくれる。コンゴ熱帯雨林地域の少数民と暮した日本人社会派フォトジャーナリストが人間の基本的な生活システムの中に地球環境への根源的眼差しを発見する。「森の民」から「文明人」へのメッセージ。
内容引用終わり


著者が取材した狩猟民族ピグミーは、コンゴ(旧ザイール)の↓あたりに住んでいる。


このあたりの地域は、1994年に起きたルワンダ大虐殺をきっかけに、ものすごく治安が悪くなっている。

※ルワンダ虐殺は、ルワンダの多数派フツ族が、少数派のツチ族を虐殺した。しかし、ウガンダで力を蓄えていたツチ族の反政府勢力=ルワンダ愛国戦線RPFが、フツ族がツチ族を虐殺している間に首都キガリを攻め落とし、ルワンダ政権を奪取した。虐殺していた方のフツ族暴徒(インテラハムウェ)は隣国コンゴに難民として逃げた。コンゴに逃げたフツ族暴徒は、コンゴに逃げたフツ族難民に民兵に加わるように強要し、フツ族反ルワンダ政府部隊を作った。その際、もともとコンゴに住んでいたルワンダ系ツチ族(パニャムレンゲ)との折り合いは当然悪く、軋轢を生んだ。

パニャムレンゲは、ローラン・カビラ率いるコンゴの反政府団体(当時のコンゴは独裁者モブツの独裁国家)であるコンゴ・ザイール解放民主連合=AFDLと組み、コンゴのモブツ政権打倒に向けて共闘を開始した。

フツ族勢力は、反ツチ族・親モブツの国々の協力を得て、ツチ族への攻勢を行う。

これが第一次コンゴ戦争(第一次アフリカ大戦)である。

私も全容を把握し切れていないので上記内容にはどこかミスがあると思うけど、ご勘弁を。要するに、ルワンダのツチ族対フツ族の争いは、ルワンダを飛び越えコンゴに飛び火し、それがアフリカ大戦と言われるまでに拡大したと言うことです。


で、本書。

そんな苛酷な時期に、行けるかどうかも分からない(ビザを発給するのがコンゴ政府なのか、地域を制圧している反コンゴ政府なのか分からない)コンゴのピグミー居住区に行き、狩猟採集民族であるピグミーと一緒に生活し、そこで得た内容を、文化人類学的フィールドワークの一環として報告した本が本書である。


といっても、著者は学者じゃないので、学術的な内容に傾いているわけではなく、知的好奇心に満ちあふれている人が見たピグミーの生活に関する報告である。


本書のどこが良いと聞かれたら、全てが良いと答えるしかない。

具体的にどういう所が良いと聞かれたら、全てが良いと答えるしかない。

私的10点満点。

こんなに素晴らしい本とは思わなかった。

私が船尾氏贔屓で、アフリカ好きで、人文地理学を学んでいるということが、本書の評価に多大な影響を与えていることは間違いない。しかし、本書は名作だ。


10点/10点満点

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2014/01/02

ローレンス・ライト/平賀秀明訳「倒壊する巨塔(下) アルカイダと「9・11」への道」感想。
ルポ。2013年12月09日読了。

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倒壊する巨塔〈下〉―アルカイダと「9・11」への道

私的10点満点のルポ。

正確に言うと、上巻の方が圧巻だった。しかし下巻も、いままで読んできたルポ本と比較すると10点を付けるべき内容である。


9.11のテロが起こってからしばらくすると、CIAとFBIは事前にアルカイダがテロを計画していたことを事前に察知していたが、CIAとFBIの連携の無さ(連携が悪いのではなく、無かった)が原因でテロを防げなかった、的な報道がなされた。

下巻である本書は、アルカイダ側の動きを追いかけることと平行して、FBIの対テロ部長オニールの動きと、FBIはどのような情報を掴みどのようにテロを防ごうとしていたのか、なぜCIAと連携できなかったのか、などについて書かれている。

(p28)
エジプトでは、イスラム過激派がムバラク大統領を蹴落とそうとしていた。ムバラクが会議でエチオピアに行くことになった。エジプトの過激派は、会議の1年以上前からエチオピアにメンバーを送り込み、現地の女性と結婚させ、時を待っていた。
それを側面支援するスーダン情報部は、エチオピアのスーダン大使館に武器を運んでいた。
空港から首都に向かう道路でムバラクを襲う計画は失敗し、エチオピア政府は調査を行い、スーダンの関与を突き止め国際社会に暴露した。スーダンは国連から経済制裁された。

(p38-41)
スーダンは自国の評判を回復するため、ビンラディンをスーダンから追い出すことにした。
ビンラディンには行き場が無かった。エジプトは人目に付きすぎる。ソマリアが有力候補だったが、ソマリ人はアラブ人を毛嫌いしている。結局アフガニスタンに行くことになった。
スーダン政府は、ビンラディンがスーダンに投資した案件の山分けを開始した。総額1億6000万ドル相当の投資が全部没収された。

ビンラディンはタリバンが共産主義者ではないかと疑い(共産主義は神を否定する及びソ連と戦った経緯からビンラディンは共産主義が嫌い)、タリバンはビンラディンのことがよく分からなかったが羽振りの良いスポンサーだと思っていた。

(p51)
アフガニスタンでタリバンが全土を制圧したのには、サウジアラビア(のトゥルキー王子)とパキスタンの支援があったから。


(p91)
1996年にスーダン出国後、ザワヒリは神出鬼没になった。12月、チェチェン紛争(ロシア政府が、ロシア内のチェチェン共和国(=イスラム多し)の独立を阻止するために徹底的な弾圧を行っている内戦)に参戦するためロシアに入国しようとした。しかし、ビザがなかったため国境で捕まり、ロシアに拘留された。

この失敗により、ザワヒリのジハード団から逃げ出すものが増えた。経済的にも安定収入がないため、じり貧になりつつあった。ザワヒリはアフガニスタンにいるビンラディンと合流する道を選んだ。

(p101-106)
ザワヒリは元もと反エジプト政府の過激派である。ザワヒリら反エジプト勢力は、エジプト政府に打撃を与えるため、観光客をターゲットにテロを行った。日本人も犠牲になった「ルクソール事件」等である。

しかしこのテロは、結果的に失敗に終わった。観光業はエジプトの重要産業である。このテロにより、エジプト国内からのイスラム過激派に対する支援は無くなってしまった。

アフガニスタンから指令を出していたエジプト人グループ(ザワヒリら)は、なぜルクソール事件以降、支援が無くなったのか理解できなかった。彼らは仲間内だけで作り上げた独自のロジック(※後述)にはまり込んでいた。


この後、
・タリバンとサウジアラビアでビンラディン引き渡しの密約が交わされた(見返りにタリバンは4駆400台などを渡し、タリバンはマザリシャリフというシーア派の街を攻撃し、5~6,000人が虐殺した)

・1998年、ケニアとエチオピアのアメリカ大使館が爆破テロにあった。爆弾を作ったのはザワヒリの部下。

この爆破テロ事件の被害者は大半がアフリカ人であり、イスラム教徒であった。目的が今ひとつ分からないこのテロは、全世界のイスラム教徒に恐怖と狼狽を与えた。

・何かが起こりそうな気配を感じ準備をしていたFBIは、「遂に始まった」と爆破テロの8時間後にはケニアに捜査人員を派遣していた。

・(p137)爆破テロの1年前に、アルカイダのメンバーがCIAに爆破計画があることを漏らしていた。CIAは信頼性に欠けるとして、この情報を無視していた。

・モニカルインスキーとの不倫騒動で揺れるクリントン大統領は、この事件の背景にスーダンが関係していると断定し、スーダンにミサイル攻撃を行った。


※(p159)イスラムの教えでは、人を殺すことは固く禁じられている。自殺も禁じられている。ジハード(聖戦)や自爆攻撃は、イスラム過激派が作り上げた手前勝手なイスラム解釈に基づいている。
イスラムの宗教的権威は、ファトワーという宗教見解を出すことが出来る。
ビンラディンにも、その側近にも、ファトワーを出すほどの宗教的権威者は誰一人いない。


・パキスタン政府は爆破テロ事件の背後にビンラディンが居ることを突き止め、タリバンの指導者オマル師にビンラディンに引き渡しを再度求める。オマル師は「引き渡しを約束したのは通訳のミス」などと言って逃げる。


等々の経緯があり、ビンラディンはいつまでもアフガニスタンに居続け、テロを指揮し、

CIAとFBIの不仲もあり、ビンラディンが何か大きなことをやらかしそうだと分かっていながらアメリカは防げなかった。


取材で様々なことが分かる。
取材した内容を丁寧にまとめ上げる。
ルポ本として上梓する。

本書の完成度の高さに言葉も出ない。


10点/10点満点


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2013/12/07

ローレンス・ライト/平賀秀明訳「倒壊する巨塔(上) アルカイダと「9・11」への道」感想。
ルポ。2013年12月04日読了。

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倒壊する巨塔〈上〉―アルカイダと「9・11」への道


私的10点満点のルポ。


ビンラディンはどうやってアルカイダを作っていったのか。

を、徹底した取材で解き明かす本書。とりあえず上巻は10点満点。

9.11関連の本としては、
・高木徹「大仏破壊」2005年09月08日読了。9点
・朝日新聞アタ取材班「テロリストの軌跡」2012年01月16日読了。7点
を読んでおり、

取材対象がちょっと違うけど
・山田敏弘「モンスター 暗躍する次のアルカイダ」2012年04月24日読了。10点満点

タリバンに翻弄されたアフガニスタン人の叫び
・モフセン・マフマルバフ「アフガニスタンの仏像は破壊されたのではない 恥辱のあまり崩れ落ちたのだ」2012年09月04日読了。8点

などを読んでいる。


1948年、エジプトの作家兼教育者サイイド・クトゥブは、エジプト政府を批判したため、エジプトにいられなくなった。友人が金を出し、彼はアメリカに渡った。しかし、消費大国、性的娯楽大国、欲望大国アメリカに苛立ち、イスラム原理主義を説いた。

1950年、クトゥブはカイロに戻った。ムスリム同胞団などの団体とも協調しながら、そしてサウジアラビア政府から金をもらいクーデターを計画した。失敗した。当時のエジプト大統領ナセルはクトゥブを捕まえ、死刑に処した。死刑は、クトゥブを神格化してしまう最悪の選択だったが、死刑回避を命ずることはできなかった。


エジプトの中流階級に生まれたアイマン・ザワヒリは、1974年に大学を卒業し医者になった。エジプト軍の従軍医になった。過激な思想を持つザワヒリは、ジハード団を結成した。


第二次世界大戦以前は、イスラムの世界で「反ユダヤ」的思想はほとんど無かった。もともとイスラム教徒とキリスト教徒、ユダヤ教徒は、アラビア半島を中心に同じ土地で暮らしてきた。オスマントルコを含め、イスラム教徒がこの地域の権勢を保っていたが、イスラム教に反目しない限り、信教の自由はあった。しかし、オスマントルコの凋落と、第二次世界大戦でのナチスにより反ユダヤ思想が世に広く知れ渡るようになったため、イスラムの中にも「反ユダヤ」が生まれた。


エジプトのサダト大統領は、イランのホメイニ師を「イスラムを物笑いの種にした……常軌を逸した人物」と評していた。


ウサマ・ビンラディンの父親ムハンマド・ビンラディンは、イエメンからサウジアラビアに移り住んだ。ムハンマドは建設業で名をなし、堅実な仕事ぶりでサウジ政府から厚遇された。サウジの首都リャドに建てられた初めての鉄筋コンクリート製宮殿、メッカのモスクなど、イスラムの聖地に関する建築も引き受けるようになった。原油価格の下落でサウジ政府の国庫が尽きたとき、ムハンマドはサウジ王族に金を貸した。ファイサル皇太子(後の第3代サウジ国王)とは、特に昵懇であった。


以下、1時間かけて書いた内容がniftyココログのクソ仕様のお陰でぶっ飛んだ。なので簡単に書く。


ウサマ・ビンラディン(1957年生まれ)は、何十人もいるムハンマドの息子(wikipediaによると55人)。大学1年の時、ムスリム同胞団の友人が出来る。イスラムの師は過激な思想の持ち主。師の影響を受け、堕落したサウジ王族を批判する。


サウジ王族を批判するが、皇太子に金を貸すほどの金持ち実業家ビンラディングループの息子なので、ウサマはそれほどおとがめを受けず。


鬱々していたウサマは、当時ソ連に攻められていたアフガニスタンに行く。戦闘に参加するわけではなく、金を持っていってゲリラ闘士に渡しただけだったが。


この頃、ザワヒリと知り合う。


アフガニスタンとソ連が戦争をしているとき、パキスタンにアフガン難民が多数やってきた。難民を支援するため、クウェートが金を出して(パキスタンに)赤新月社(赤十字のイスラム版)が作られた。ザワヒリはそこで医師として働いた。赤新月社はジハード団の拠点となった。


ウサマは同じように鬱々としたサウジの青年を組織し、アフガニスタンに加勢に行く。しかし、アフガンゲリラから、アラブ人は役にたたないから帰れと言われ、自尊心が大いに傷つく。


で、ウサマは相変わらずサウジ王族を批判する。何で批判するかというと、サウジ王族は石油で儲けた金をしこたま懐に入れ、金に飽かせて欧米諸国で豪遊三昧、酒も女も金で自由自在。それを見て、イスラムの教えはどこに!と怒る。


さすがに王族は頭に来て、ウサマ、テメエこの野郎となった。そしたらウサマはスーダンに呼ばれた。呼んだのはハッサン・トラビ(リンク先は英語)というスーダンのイスラム原理主義者。


ウサマとトラビはお互い相容れなかったが、金が欲しいトラビと、居場所が欲しいウサマはお互いに妥協。


ウサマがビンラディングループからもらっている小遣いは1ヶ月100万ドル(だったかな?)。この金額は、経済が疲弊していたスーダンではナンバー1の投資家になってしまうくらいの金額だった。


ウサマは、投資の見返りにスーダン政府から土地をもらった。


スーダンで農業を始めたウサマは、こういう生活も悪くないな、と感じていたが、いろんな輩にそそのかされて過激なサウジ王族批判をしているうちに、サウジ王族が本気で怒ってしまって、サウジ国籍を剥奪された。


的な内容。


圧巻。


この本に10点付けずして、何に10点を付けるというのだ。


10点/10点満点


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2012/09/16

伊藤正孝「ビアフラ 飢餓で滅んだ国」感想。
ビアフラ戦争ルポ。2012年09月11日読了。

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ビアフラ飢餓で亡んだ国


私的10点満点のルポ。


原著(「ビアフラ潜入記」)は1970年に刊行され、文庫版の本書は1984年に出版された。文庫化に際して、第3部「飢餓と部族問題」約35ページが加筆されている。

本書は現在絶版であり、古本でしか入手できない。


本書の著者である伊藤正孝氏(朝日新聞記者)の「南ア共和国の内幕 アパルトヘイトの終焉まで(増補改訂版)」2012年02月21日読了、も私的10点満点を付けた。


◆◆◆

ナイジェリアで、ビアフラ戦争という内戦があった。ざっくりと説明する。(以下wikipediaから丸ごと引用している部分もあり)

ナイジェリアには、
北部のイスラム教徒主体のハウサ族、
西部のイスラム/キリスト教混合のヨルバ族、
東部のキリスト教主体のイボ族、
の三大部族があり、その他の多くの少数民族ともに存在した。

イギリス植民地時代には、イボ族は比較的教育レベルが高く、下級の官吏や軍人を多く輩出し、また商才もあり「黒いユダヤ人」と呼ばれることもあった。

軍のクーデター未遂などを経て、北部(ハウサ族多し)でイボ族が虐殺される事件が相次いだため、1967年、東部のイボ族は「ビアフラ共和国」として東部州の独立を宣言した。ちなみに、その当時既にナイジェリア東部では石油が採掘されていた。

当初は士気が高かったビアフラ側(東部イボ族)だったが、ナイジェリア軍の手により海岸の拠点町ポート・ハーコートが陥落(1968年5月18日)してから、内陸で孤立してしまった。

ビアフラを支援していたのはフランス(石油狙い)、ポルトガル、コートジボワール(フランス寄り)、ガボン(フランス寄り)、タンザニア(中国寄り)、ザンビア(中国寄り)、ローデシア(現ジンバブエ)、南アフリカ。

反対にナイジェリア軍を支援していたのはイギリス、アルジェリア、エジプト、東ドイツ、ソ連。

まだバリバリ東西内戦の頃であり、イデオロギー対決の部分もあったが、海岸線を失い補給ルートを確保できなくなってしまったビアフラ側は、1970年1月9日に降伏する。


海岸のポート・ハーコートを失った後の拠点となった、内陸のオウェリ。


大きな地図で見る


◆◆◆

1969年6月、国際赤十字が救援飛行を打ち切った。それまで悲惨な戦争を訴えるため外国人ジャーナリストを積極的に受け容れていたビアフラだったが、内陸に押し込められたビアフラは、1週間で餓死者3万人、小学生がゲリラ戦の訓練を受けているなど、悲惨な状況になっていた。

ビアフラ政府代表部から入国許可を得るため、著者である伊藤記者と高橋カメラマンは1969年9月にタンザニアの代表部に行く。入国許可が下りない。エチオピアの代表部に行く。入国許可が下りない。パリに飛ぶ。ロンドンに飛ぶ。交渉は遅々として進まない。飢餓が進んでいるビアフラでは、ジャーナリストを飛行機で運ぶくらいなら食料を中心とした救援物資を運びたいからだ。

運も味方し、12月になり、フランス赤十字の飛行機でビアフラに入国できることになった。ガボンのリーブルビルで待機することになった。リーブルビルでも待たされた。

しかし12月24日、遂にビアフラ行きの飛行機に乗ることが出来た。

ビアフラのオウェリに近いウーリー飛行場に行くまでに、ナイジェリア軍が発砲してくる。当たらないようにするため、真夜中に飛ぶ。ウーリー飛行場は道路と平行にジャングルを切り開き、ただ鉄板を敷いただけの空港だった。ナイジェリア空軍を警戒しているのか、滑走路の灯りも最低限しかついていない。

◆◆◆

そして遂に伊藤記者と高橋カメラマンはビアフラに入国した。

オウェリの町に行ったら、髪の毛が金髪っぽい色になっている子供や、白人と黒人の混血のような子供が大勢居た。「彼らは混血児なのか?」とビアフラ代表部のスポークスマンに聞くと、「栄養失調の度が過ぎて、体から色素が無くなっている」との返事。

黒人と言えばワキガがきつい。しかし、ビアフラではあまり臭いを感じない。イボ族の特徴かと思っていた。しかし1月1日、パリから持参した食べ物で正月を祝っているとき、ビアフラ代表部のスポークスマンにご馳走したら、ワキガの臭いが漂ってきた。飢餓はワキガの臭いも消すようである。

ビアフラを支援しているヨーロッパのキリスト教のグループは、食糧配給の基準を以下のように定めていた。
1.ピノピンして働ける者
 週1回の麦がゆ
2.妊婦又は衰弱が目立つ者
 週2回の麦がゆとミルク4杯
3.明らかに餓死直前の者
 週3回の麦がゆとミルク6杯

1日に3回の食料ではなく、週に3回である。

そのくらい、ビアフラには食べ物がなかった。

必須ミネラルである塩もなかった。戦争前は良いところのお嬢さんだった身なりの若い女性が、塩と交換で売春しようと持ちかけてきた。

ビアフラの海外担当情報官は
「欧州で1万人餓死すれば大騒ぎになる。アジアで10万人死ねば、国連が解決に乗り出す。しかしビアフラでは2年半で200万人が餓死したのに、世界中から無視された」


◆◆◆

ビアフラ独立を目指したイボ族は、アフリカにある数々の民族部族の中でも飛び抜けて商売が上手い。イボ族が暮らす地域で石油が見つかった。他部族のやっかみも含め、イボ族が攻撃対象になった。それがビアフラ独立のきっかけである。

しかし著者は言う。

イボ族は、15世紀以降のアラブとヨーロッパの奴隷貿易に手を貸していたのでは?

ビアフラ人にこのことを聞くと、皆黙ってしまった。

ビアフラのある地域は、別名「奴隷海岸」である。


◆◆◆

伊藤記者らは「飛行場まで行く車の燃料が無いから、まだかろうじて燃料が配給できるうちに早くビアフラを離れろ」と忠告されていた。高橋カメラマンは1月5日に離脱した。

伊藤記者は1月7日に離脱した。

1月9日に、ビアフラは降伏した。


◆◆◆

とんでもないルポだ。

私は現代アフリカに興味があり、現代アフリカの本ばかり読んでいたが、先日読んだカプシチンスキ「黒檀」といい、伊藤記者の「南ア共和国の内幕」といい、独立黎明期のアフリカは、今よりもっととんでもないことがあちこちで起きていたのだな。

名作と言われるルポを、これから私はたくさん読んでいきたい。


10点/10点満点


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