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2013年8月25日。
この日は、連日の猛暑が突然収まり、暗くならない程度の薄曇りで、気温27度、湿度も60%くらい。
暑くもなく寒くもない、実に快適な日曜日だった。(ちなみに千葉県)
窓を全開にしていると、爽やかな風が入ってくる。
昼飯も食ったし、サイクリングに行こうかな。
と思っていたとき、数日前にネット(紀伊國屋)で注文していた蔵前仁一さんの本が届いた。
サイクリング気分だったけど、蔵前仁一さんの本を開いてしまった。
ページをめくる手が止まらなくなった。
読み終わったとき、空は暗くなっていた。
◆◆◆
蔵前仁一さんから、新刊の案内はがきが自宅に届いた。
蔵前さんは雑誌「旅行人」の編集長兼社長で、「旅行人」を定期購読していた私のところにも案内はがきが届いたのだろう。しかしこの本、蔵前さんが経営する出版社である旅行人の発行ではなく、幻冬舎から出ている。他社で出版する本を自腹で宣伝しているのかな?雑誌「旅行人」の定期購読者全員に送っているとしたら、切手代だけでも数十万円だ。太っ腹な著者だなあ。
本書は、1956年生まれの蔵前さんの自伝(半生記)である。
大学で漫画ばかり書いていたけど、物にならなかったので大学卒業後にデザイン会社でバイトしながらデザイン学校に通って、無駄なのでデザイン学校を辞めてフリーランスのデザイナーになって、そのうち雑誌のデザインや本の装丁を手がけるようになって、仲間とともに事務所を借りて機材を買って、そのうち会社に寝泊まりするのが当たり前の地獄のフリーランスになって、、、、
26歳の時、たった2週間インドに行った。ショックを受けた。
仕事に戻ろうとしたが、インド病に罹ってしまい、仕事が手につかないので、1983年7月、27歳でフリーランス生活を辞め、貯まった金で、韓国→香港→中国→タイ→マレーシア→シンガポール→インドネシア→ミャンマー→タイ→インド→ネパール(→タイ?)に行った。帰国したのは1995年の3月。1年8ヶ月の長期旅行。
この度の最後に鞄を盗まれ、カメラもフィルムも日記もなくなってしまった。旅の最後に、タイのサムイ島に1ヶ月滞在して、インドの思い出を絵日記風に書き起こした。
それが1986年11月に「ゴーゴーインド」となって出版された。
その後も長旅を繰り返し、旅好きが高じて旅のミニコミ誌「遊星通信」を発行し、自身も紀行イラストエッセイを書く紀行作家の仲間入りを果たし、ミニコミ誌がそこそこ順調なので本格的な旅行雑誌(雑誌「旅行人」)にするため兄の力を借りて出版社(出版社「旅行人」)を興し、、、
そうこうしているうちに雑誌「旅行人」が、自分が本当に出したい雑誌ではなくなっているような感じがして、資金繰りや経理を担当してくれていた兄が家業を継ぐため出版社「旅行人」を去り、追い打ちをかけるように会社に泥棒が入られたりして、
いろんなことがあって、雑誌「旅行人」は幕を下ろしました。
ということが書かれている。蔵前さんの人生約40年分が詰まった半生記である。
「旅行人」には、いろんな人から旅行記が送りつけられて来るそうだが、ほとんどはぱっと見ただけでダメな代物。しかし、稀に掘り出し物があり、「宮田珠己」だったり、「グレゴリ青山」だったり、「石井光太」だった。石井光太の原稿は、しばらくほったらかしにしていたけど、読んだらめちゃくちゃ面白かったので即電話したが、既に他社から出版が決まったとのこと。それがデビュー作「物乞う仏陀」だったとか。
クスクス笑える蔵前旅エッセイとは赴きが異なる本だけど、私は楽しめた。まあ、ファンだし。
9点(私は蔵前ファンなので甘め)/10点満点
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